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ロロの空想

心に移りゆくよしなしごとを書いていくよ!

夢と無意識、明晰夢

日記


 夢は無意識があらわれるというが、実際どうなのか。
 私は、夢分析には少し疑問を抱くが、夢自体が、無意識を表しているという意見にはある程度、賛同する。
 ある程度、といったのは、本当にそれが「無意識」なのかどうなのかは判断しかねるからである。意識と無意識の間かもしれない。

 私は、覚醒から眠りについて夢を見るまでを連続的に意識することがあるのだが、「夢が無意識を表しているのではないか。」というのは、その経験から考えている。所謂明晰夢というやつだろうか。
 意識してもやはり何の夢を見ていたかは忘れてしまうのであるが、これに関してはそれほど疑問視もしていない。
 
 順に、具体的に私の意見を述べよう。
 まず、私は、言葉を使って意識的に考える以外にも、我々はいろいろなことを考えていると思っている。
 とはいえ、私は、フロイトが言うような意識、前意識、無意識、といった意識構造の分け方には賛成しない。私が考えている人間の意識構造の一つのモデルは、以下の様なものである。
①言葉にでき、認知できるもの(言語化認知領域)
②言葉にはできないが、認知できるもの(非言語化認知領域)
③言葉にはできないし、認知もできないもの(非言語化非認知領域)
 私は、意識については、言葉にできるかどうか、また、言葉にできなくても感覚的に認知できるかどうかに注目して分けるべきだと考えている。とはいえ、これらは明確に区別されるものではなく、連続的なものだろう。

 恋心になぞらえて、具体例を挙げるなら、
 ①言語化認知領域は、「○○のことが好きだ。」と自覚している状態である。
 ②非言語化認知領域は、「なぜだかわからないけれど最近ぼーっとする」といった状態である。
 ③は、「恋していることにも気づかない」状態である(これを恋と呼ぶのかどうかはここでは議論しない)。

 認知において、私たちは言語に大きく依存しているため、言語化できるかどうかは、意識領域を分ける上で重要である。言語化できる領域までが、私達が認知可能な領域だという人もいる。私達の認知がどれだけ言語に依存しているのかについては、ソシュールやヴィントゲンシュタインなどの記述を一度探してもらうとわかりやすい。

 私の仮説としては、このように、私たちは自覚していないところで、何かを感じ、考えている。しかし、それは、普段は①言語化認知領域の感覚が強いので、意識的に探してもなかなかわかりにくいのである。

 基本的に、私達の感覚は、強い感覚が優先され、弱い感覚はマスクされる、といった傾向がある。
 聴覚で言えば、電車の中では小さい声が聞き取れなかったり、耳をふさげば自分の体を伝わってくる自分の声が聞き取れたりする経験や、視覚で言えば、明るいところでは星の光が見えないこと、触覚で言えば、0.000kgから0.050kgの変化には気づけても、10.000kgから、10.050kgには気づけなかったりする。
 自分の意識についても、私は同じだろうと考えている。

 夢を見ているときというのは、明晰夢の経験から言うと、①言語化認知領域の感覚が非常に弱い、またはなくなってしまっている。また、現実世界からの五感の刺激に対してもかなり鈍感になっている。
 したがって、私は、夢を見ているとき、②非言語化認知領域を強く感じるのである。
 目を覚ますと、夢を忘れてしまうのは、おそらく、②非言語化認知領域の感覚は元々弱く、しかも普段は言語化されない領域であるので、言葉として保持することが難しいからだろう、と思う。
 稀に、夢を覚えているのは、②非言語化認知領域をたまたま言語化することに成功した場合だと考えている。
 夢の中で誰かと喋った経験についても、あくまで、②非言語化認知領域は感覚を言語化できないだけで、誰かと何かを喋ると言った感覚自体を認知できないわけではないと私は考えている。
 例えば、誰かとこれからご飯を食べながら何か話すというとき、相手に話す内容を具体的に言葉にはしなくてもなんとなくイメージしている。それに近い。
 夢が脈絡がなかったりするのも、言語化して認知することができないので、理性的に整合性を取って思考するといったことができず、感覚の連鎖が起こっているのだと私は考えている。


要するに、私が考える夢とは、「覚醒時は現実にマスクされてしまっている意識領域」であり、以下のGIFのようなイメージである。

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・さいごに
 では、この私の仮説を、生物学的根拠を以って説明するにはどうしたらよいかについて考えてみる。

・実験的証明の計画
 眠っているときに、手を触ったりして触覚を刺激したときに、脳の中で手の体性感覚を司っている部分の血流量が覚醒時と比べて顕著に変化しなければ、外界からの刺激には鈍感になっており、現実世界の感覚の鈍麻が判断できる。また、ウェルニッケ野の血流量がレム睡眠時に低下していることがわかれば、①言語化認知領域が睡眠時に後退しているか可能性を指摘できるかもしれない。ただ、実際はそう短絡的にもいかないだろう。
 また、REM睡眠時に、脳の視覚や聴覚の部分の血流量が上昇していれば、実際に夢のなかで何かを体験していると言える。
 (どちらも、先行研究がありそうなので、それを調べればよいだろう)
 レム睡眠とノンレム睡眠は、レム睡眠を覚醒時に近いが、外界からの感覚の鈍麻や、①言語化認知領域の認知の後退、ノンレム睡眠は気絶状態、と考えれば説明はできる。
 脳波については、どのように説明するかはまだまだわからない。


 夢や睡眠、意識について、何か明らかにできればよいのだが…。