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ロロの空想

心に移りゆくよしなしごとを書いていくよ!

稀勢の里と日本人の民族意識


 日本は国民国家なので、日本人の多くは民族問題には疎いところがあると思う。
 アメリカなんかよりも、民族問題が身近にあるとは思わない。

 周りは大体日本人って人が多いし。

 しかし、やはり在日朝鮮人やその他外国人の問題は依然としてある。自分が在日朝鮮人として暮らしていることを隠している人も私の身近にはいる。
 苗字も名前も日本風なので、本人から言われないと気づかない。


 在日外国人問題というのは、政治的問題という側面が結構強い。

 一方で政治的問題とはまた違った場面で民族意識を意識する場面が、日常には存在する。

 私が最近感じたのは、稀勢の里が、2017年初場所で優勝、その後横綱へと全会一致で推薦されたときのことである。

毎日新聞
http://mainichi.jp/articles/20170124/spn/00m/050/016000c
「1998年の3代目若乃花以来、19年ぶりに日本出身横綱が誕生する。」

THE PAGEのYahooヘッドラインニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170123-00000002-wordleafs-fight
「待望の19年ぶりの日本人横綱が誕生する。」

NHK
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170123/k10010849951000.html
稀勢の里横綱に推薦決定 横綱審議委 19年ぶり日本出身横綱

 稀勢の里については、「19年ぶりの日本人横綱」以外にも、「30歳、遅咲きの横綱」、「悲願の初優勝」など、他にも話題になるトピックはあるし、それぞれの報道が、「19年ぶりの日本人横綱」を前面に押し出してばかりいるわけではない。
 元々の人気もあっただろうし、これだけ世間では騒ぎになっているともいえる。

 ただ、私の身近な人に、初場所中、以下のような発言をしている人がいた。
「やっぱり、優勝は、日本人の稀勢の里にしてほしいなー。」
 なるほど、たしかに、その通りだ、と私も思ったものだった。

 そして、稀勢の里は優勝した。
 その人も大喜びである。

 やったー。やったー。

 

 しかし。

 果たして、これでいいののだろうか、と私は思った。

 兼ねてより、稀勢の里を応援していた人もいる。しかし、稀勢の里が「日本人」だから、応援していた人もいる。

 白鳳だってモンゴル人だけれど、日本の相撲界での活躍はすごいし、日本に来て活躍しているモンゴル人力士に対してひどいんじゃないかなー、と思う。

 今までの外国人横綱は、元々、モンゴル人だった外国人だったから外国人力士と呼ばれていたし、その外国人力士に対して、日本人力士を応援するのは、スポーツの国際大会で日本を応援するのと似たような心情なのかもしれない。

 ただ、日本の相撲は国内大会であるという点で、他のスポーツの国際大会とは異なる。

 では、もしも、稀勢の里のような純系日本人ではなく、両親が日本に帰化した元外国人の子供だった場合、その子供は国籍上は、生まれも育ちも日本人になる(?)だろうが、そういった人間が、こういった国内大会で優勝争いした場合、
「日本人だから応援したい」
という気持ちが、純系日本人の場合と比べて変わるか、変わらないか。

「日本人って言っても、元々の血は外国人だし、ほんとの意味での日本人じゃないよなー。」
と言う人が一定数いそうな気がする。

 スポーツの国際大会に、日本代表として出場しているハーフの外国人選手もいる。
 あえて名前を上げないが、そのハーフの外国人には、見た目が日本人っぽくなく、黒人っぽい見た目の人などもいる。そういった人が活躍したときに、何か煮え切れない、盛り上がりきらない雰囲気を私は感じるのだが、それは私の周りにいる人が偏っているからなのだろうか。


 やはり、人々の間にあるのは、同じ国民としての一体感情ではなく、同じ民族としての民族意識なのだろうな、と私は想像する。


 自分の中に、自分の民族は応援したいし、自分の民族が他の民族にやられてしまうというのは嫌だ、という感情がある、ということに気づくことから始まるんだろうな。

 その感情が自分の中にあることを気づかないで、
「他の民族を差別するなんてひどい!なんでみんなで仲良くできないの!?」
なんて言っちゃダメなんだろう。
 自分の民族への意識に気づいたうえで、さて差別という行動に出るか、理解し合うという行動に出るか、という違いである。


 はたして、世界の争いというのは、本当に国家間の争いなんだろうか、と私は思うのだ。
『結物語』作・西尾維新
を最近読んだ。ここでは、平和活動として、国境を消して行く行為が描かれている。国境が消えて、国が消滅して世界統一政府ができれば本当に争いがなくなるのか、というと全然そんなことはないのだろう。
 

 また、移民政策についても、民族意識のことを考えなくてはいけないんだろうな、と思う。
 日本は、EUに比べれば、全然移民を受け入れていない。
 この移民については難しい。
 やっぱり、自分の国は、自分の民族がの国であってほしいと私は思ってしまうし、他の多くの人もそうだろう。
 移民を受け入れるときに、前提として、その移民が自分の国の隅っこのほうで暮らしてくれるんだろうということを想像してしまってはいけない。
「移民としては受け入れるけど、あんたもあんたの”子孫”も国の政治に関わったり、日本の中心となってはいけないんだぜ」
 というのはやはり無理がある。子孫までコントロールすることはできない。

 移民としてくる以上、その子孫たちが日本人となって生きていく可能性があるし、もしも、移民がたくさんの子供を産み、日本国民の過半数を移民が占めるようになり、日本の主要企業や政治家が移民の子孫ばかりになってしまったら、
「日本が乗っ取られてしまった。」
と感じる人もいるだろう。


 日本は、民族についてアメリカほど意識する必要がないので、民族問題の議論は遅れてるんじゃないだろうか。

 国家と民族は、どのように存在すればいいんだろうか。
 どこの民族を国民国家を形成すればいいというのは無理がある。

 民族ごとの統治機構を作り、思想ごとに国としての統治機構を作り、二重統治機構というのはどうだろう、と思ったけど色々課題がありそうだ。


 日本人の民族意識っていうのをもう少し考えてみないといけなさそうだ。