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ロロの空想

心に移りゆくよしなしごとを書いていくよ!

自由に生きるということと自給自作。

 

 私は、自由に生きることができたらいいなあと思っている。
 自分が好きな本を読んで、自分が好きなことを研究して、自分の好きな機械やプログラムなんかを作って、自分が好きな作物を育てるようなことがしたいなあ、と思う。

 私は、基本的には、このように、自由に過ごして、自分が必要なものをできるだけ自分で作ることができたらいいなあと思っている。

 それが私の希望であり、一つの夢である。プラスチックを自分で作ることができたら楽しいだろうなあ、とか、まあそんなことも思ったりする。
 実現できるかは微妙、というか、まあおそらくはそれはできないのだろう。家に実験室も成型機もないし。今の段階の技術力は難しそうだ。フェノール樹脂とかだったらもしかして作れるかもしれないけれど、実用品レベルにまでするのはやっぱり今の技術では個人では難しいかもしれない。

 とはいえ、今はメーカーズムーブメントというのが流行りらしい。

 個人が、何かを作るという時代である。

 今までの産業は労働集約型だったりしたけれど、3Dプリンターができたり、一人一台パソコンを持って、プログラムが作れるようになったりして、一人で結構ものづくりができるようになった。

 文献研究に関しても、インターネットが資料の検索を非常に簡単にしてくれたし、海外の文献だって、クリックしたら届くような時代である。

 一人でできることが非常に幅広くなった。

 昔のことを思うと、かつては農村なんかでは、個人の産業として農業を営んでいたけれど、労働集約的な産業が趨勢を誇るようになり、一人一人の人間は、社会に大きく依存した暮らしを送らざるを得なくなって、そしてそれは今も続いているのだろうと思う。

 便利にはなったけれど、それは社会に依存することでのみ維持できる生活である。

 今は。

 しかし、より時代が進み、技術が発展すると、一人ができることの範囲内でより高い水準の維持ができるようになるのではないか、と私は期待を抱いている。

 さきほど言ったように、個人がものづくりができるようになったように、初めの開発環境を整えることができれば、いろんなものを自分で作れるようになったりするんじゃないか。

 もしくは、下水処理だって、今は下水道に頼っているけれど、家庭内で浄化できる装置がもしかしたらできるかもしれない、とか。
 

 一度集約的になった産業が、また個人が営む産業になったりするのじゃないか、と思ったりする。

 そうなれば、私としてはうれしい。
 多くの人の意思に従って生きる必要がなくなって、自由に生きることができる。

 そうなったら、もはや現在の都市構造というのは解体する可能性もあるし、田舎に引っ越してもそれなりに便利に暮らしていけるようになるかもしれない。ドローンが欲しいものは運んでくれるかもしれないし。

 田舎に住んで、土地が余っていれば、畑を持てるといい。

 自分の食べるものは自分である程度自給できればいい。肉や魚なんかは、時給は無理かもしれないけれど、野菜や果物なら自給できるかもしれない。

 そんな風に、社会への依存度を小さくした生き方ができればうれしい。
 生きるのに必須ではないけれど、あったらよいもの(娯楽作品や嗜好品、小道具など)は社会に依存する、という風に暮らせればいいと思っている。

 

 自分の生活基盤をできるだけ自分で支えることができれば自由に暮らせるのじゃないか、と私は期待しているのだ。
 それはまあ、実際には、いろいろと考えなければいけないことはや克服しなければいけない課題は多いだろうが、人一人が生きていくのが、今よりもっとイージーになればいいと私は思う。
 他の人も、できるだけ生活用品や食料を自給できればよいと思う。自分一人ではなくて。人一人が生きるのに、学校を途中でやめたら終わりとか、社会的信頼を失ったら終わりとか、人より何かに優れていないと生きられないとか、そういったことなく、もっと生きるのがイージーな世の中になればいいと私は思う。

 一人が生きるためのハードルが高いんじゃないだろうか。
 どこかに雇われないと生きていけない。自分が食べるものも、着るものも、住むところも、自分たちでは手に入れられなくて、一定の能力を身につけてお金をもらってから交換しなければならない、というのは生きるハードルとしては結構高い気がする。

 まあ、そうしないと生きられない、という風に追い込むことで、一定の学習意欲を生み出したり、礼儀や従順さを生み出せるということで、治安維持には貢献しているのかもしれない。

 社会に依存しなければいけなくなったら、また今とは違う争いが起きそうだ。


 まあ、その辺りは課題があるのだが、しかし、もっと一人一人が楽に、そして自由に生きることができるようになっても、いいんじゃないかと私は思う。

 


 世の中には、「自由に生きる」というのを、不労所得を得ることで実現しようという人が多い気がする。
 しかし、そういう不労所得というのは、他の誰かが社会を回してくれることが多かったり、結局はゼロサムゲームになっていて、勝てた人しか自由にはなれなかったりする。
 だから、それをもって、「みんなも自由になろうよ。」とは言えないのである。結局は、誰かに支えられた上で少数の人間だけが享受できる自由と幸せになってしまう。

 だから、私は、多くの人が自由に、幸せに過ごせる方法として、さっきまで述べていたような方法がうまくいけばいいなと、淡い期待を抱いているのである。
 それでも、やはり全員が、そういう風に暮らすことができるわけではないのだろう。
 しかし、生きるのが簡単になって、生きる方法を選ぶことができればよいな、と私は思うのである。