人間の行動は基本トレードオフ
欠点のあるキャラクターは魅力的に感じるけれど、それってどうしてなのかと考えていた。
明後日の方向に向かって全力疾走してしまうキャラとか、落ち着きがなくてぴょんぴょんしてしまうキャラとかいるけれど、そういうところがあったほうが魅力的になったりする。
現実においてもそうで、ちょっとくらい欠点がある方が、関わりやすい。
それがどうしてなんだろう、と思っていた。
そして、それって「トレードオフ」なのじゃなかろうか、と最近になって思った。
たいてい人は、何かしら欠点を抱えているもので、それが何かは人によって様々だけど、自分の欠点を認める以上、相手に欠点を見出したいと思う心理があるのではないかと思う。
自分よりも圧倒的に上位の存在というのは、癪に障るし、自分とは階層が違うということで敬遠してしまうけれど、同じように欠点のある、同じ階層の人間だと認識することで安心できるのではないか、と思う。
相手にも、自分にも欠点があると考えたときに、自分と相手はお互いに「欠点を差し出す行為」をトレードオフすることで相殺し、親しみやすい存在だと捉えることができるのではないだろうか。
また、相手に欠点が見いだせなかった場合は、「相手はむかつく存在である。」といった風に捉えることで、自分の欠点とトレードオフしているのかもしれないし、それもできなかった場合は、トレードオフできる関係にないので、親しみやすさを持てなかったりするのかもしれない。
あるいは、相手に欠点が見いだせなかった場合でも、相手を上位と認めて、「自分の欠点を相手に差し出す行為」と、「相手から何かを恵んでもらうこと」をトレードオフとして捉えるということもあるかもしれない。
どうであれ、トレードオフによって印象を説明できるのではないか、と思った。
この考えに基づくならば、人から反感を買わないようにするには、人がトレードオフしやすい欠点を作って置くというのが大事なのかもしれない。
こんなことを考えていると、こういった印象だけに限らず、人間のあらゆる行動は、「トレードオフ」の概念で上手く説明できるのではないかと思い始めた。
「労働」と「収入」のトレードオフ。
「労働」と「自己実現」のトレードオフ。
「労働」と「承認」のトレードオフ。
こう捉えることで、無償有償にかかわらず、人間の労働行為を説明できる。
中二病的な、「自分は選ばれた不幸な人間だ」というような思考も、「不幸」と「同情」のトレードオフだと捉えられる。
トレードオフの概念で考えることで、人の行為というのはたいていうまく説明できると感じる。