ロロの空想

心に移りゆくよしなしごとを書いていくよ!

人間の思考と行動を言い表すための枠組みについて

「あの人は他人との関係を作るのがうまい」
「あの人は、計算は早いのだけれど、大事な事を見落とす」
「あの人は思い込みが激しいところがある」

 こんな風に、色々と人をがんばって形容しようとしても、いまいちうまく言い表せていない気がしたりする。

 何かを言い表そうとしても、対応する言葉が見つからなかったり、言い表すのに適切な概念を知らないと、言い表すことは困難だろう。

 うまく言い表せないと、既存の言葉でなんとか言い表そうとするから、
「人間的に~」とか、そういった抽象的な言葉で代用することが多い。


 人間の思考と概念をうまく言い表すためには、適切な概念と言葉が必要だと思う。
 私が思うに、今のところ、人間の思考と概念をうまく言い表すための概念と言葉は世間に流布していない。
 人間の思考と概念をうまくいい表すための概念と言葉自体はどこかで誰かが作っているかもしれないが、残念ながら私はそれを知らない。


 ならば、私なりに人間の思考と行動をうまく言い表すための枠組み、概念と言葉を考えてみよう。

 とはいっても、人間の思考と概念を包括的に体系的に説明できる枠組みをいきなり作れるわけもないので、ここでは、よさげだと思う概念を少し書くことにしよう。


・制御と実行
 
 私はコンピュータが好きだから、何かを考えるときにもよくコンピュータの設計思想を参考にしがちである。
 コンピュータの世界では、隠蔽、モジュール化、クロスプラットフォームMVCモデルなど、色々な設計思想がある。
 コンピュータの設計思想の多くは、機能ごとにパーツを分け、それをコントロールするプログラムを用意するという思想が共通している。

 それを参考に考えると、人間の行動や思考は、制御と実行にわけて考えると言い表しやすいのではないだろうか。

 ここで、制御と実行という概念で人間の思考と行動をどのように分類するか提案してみる。

 まずは、「実行」の概念から考えよう。
 人間の思考と行動を「実行」と「制御」を分けるならば、「実行」は、会話能力、計算能力などの技術的遂行能力を表す概念として考えるとよい。
 簡単にいうならば、「何が遂行できるか」ということを「実行」の内容と考えてよいだろう。

 次に、「制御」の概念を考えよう。
 「制御」には、何をしようかと考える、他に何かいい方法はないかと考える、本当にこれでよいのかと問う、といったような能力を表す概念と考えるとよい。
 これは、「何かについてメタ的に考える」力だと言えるかもしれない。

 これだけではわかりづらいので、もう少し具体的に書こう。
 
 私は、「制御」によって、検証という「実行」に誘導する能力が、制御の意義においては結構大切だと思っている。検証を制御に含めるべきか実行に含めるべきかは悩んだが、実行のほうに含めることにした。

 例えば、ある生徒が高校で宣伝のために学芸会の発表のポスターを作ることにしたとしよう。
 A3の画用紙と油性ペンやポスターカラーが教室にはある。「実行」の面から見れば、いかにきれいに油性ペンとポスターカラーを使ってポスターを仕上げるか、といった能力を考えることになる。
 ここで、制御の能力がある程度この生徒に備わっていた場合、
「ポスターをパソコンソフトを使って作って印刷した方が量産できていいのではないか?」
「ポスターを作るのにかかる費用と宣伝の効果をてんびんにかけるとポスターを作るメリットはどれくらいあるだろうか?」
「一人で自分が作るべきだろうか?ポスターに含めるべきテーマを他人に相談した方がよいだろうか?」
 などと、ポスターを作るという行為自体にメタ的な思考を行うだろう。これは、「制御」の能力である。
 そして、それぞれのメタ的思考の是非について検証を行う。
「パソコンソフトを他の人が使えないとデータの受け渡しが面倒かもしれない。A3をきれいに印刷できる印刷機がそもそも学校にあるだろうか?」
 といった具合である。この制御→検証という経路によって制御の意義は十分に生かされる。制御のところだけでは、次に何を「実行」するかということを決定することが難しい。

 

 さて、「制御」と「実行」の概念を使って考えれば、
「何かを盲信して疑わない」
「伝統の保持に固執する」
 というのは制御の能力の問題であり、制御→検証という経路で考えることができるのが望ましい。

 「制御」と「実行」という概念を使えば、
「何かをするのが上手」ということと、
「何かの意義・価値・方法について考える事」というのは別だということができ、曖昧な批判をしなくてもよくなるのじゃないだろうか。