ロロの空想

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自我境界線がとける―アンチA.T.Fieldの展開

 

 他人と話していると幸せな気持ちになり、自分と他者を隔てる境界線、言うなれば自我の境界線が溶けるような感覚を感じたことがあるだろうか?

 私はある。よくある。しかし、同じようなことを誰かが言っているのを見たり聞いたりしたことがない。

 私はその感覚を「自我境界線がとける」とでも表現しようと思う。
 私はこの概念をどうにかして確立したい。そのためにここで少し考えを深める。

 自我境界線がとけるという感覚を認識し始めたのは最近である。
 それまでは、ただ人と喋り足りないだとか、もう少し喋りたい気持ちだとか、そんな風に思っていた。
 人と長時間しゃべり終わった後の空虚な感覚。満たされない感覚。そういった感覚自体は前からあったはずなのだけれど、それはなんとも言えない感覚としか自分自身表現ができなかった。
 しかし、最近は、自我境界線がとけるといったほうが自分の中ではしっくりくることに気が付いた。

 私自身の感覚では、自我境界線がとけてしまった後の症状としては、誰かとしゃべりたい気持ちが依然として強く残ること、作業にいまいち身が入らないことがよくある。他にも内省的思考があまりできなくなってしまう。私が自我境界線がとけたと感じるのは、この内省的思考の困難さからである。
 そしてそれは2~3日続く。その間はとてもつらい。何か有意義なことに打ち込みたいと思っても、打ち込むことができず、ただ物足りない、満たされない気持ちだけが続き、それに苦しむことが多いからである。
 しばらくすると自我境界線は回復する。内省的思考も可能となり、何かについて考えたり作業したりすることも可能となる。主体的に有意義な行動を遂行することができるようになる。

 もしかして、
「休みの日に家にいて、しゃべる相手もいないとき、何とも言えないつらさに襲われる」
 という人がいれば、それはもしかしたら自我境界線がとけてしまった状態なのかもしれない、と私は思っている。ただ、本当にそう言って差支えがないのかどうかは私自身にもわからない。

 「自我境界線がとけた状態」というのを、ここでは、「他者とつながりたい欲求を抱えているために内省的思考や主体的で計画的な行動を行うことができない状態」という概念だと捉えることにする。

 
 自我境界線がとけた状態、というのは私だけが感じたことのある感覚なのか、あるいは多くの人が感じているにも関わらず、自我境界線がとけたといった表現を使わないだけなのか。

 

 自我境界線がとけた状態がある一方で、他人に対して強く自我境界線を張りたいときというのもよくある。
 苦手な人が話しかけてきたとき、他の人と仲良くなりたくないとき、などである。
 そういったとき、私は、他者との境界線、自我境界線を強く意識し、私の内面を外に出さないように心がける。

 自我境界線を強く張りすぎると、厭世的な気分になり、周りの目につくもの全てが気に入らなくなり、壊してしまいたりと思ったり、自分の居場所から一歩も外に出たくないと思ったりするようになる。世間への不信感、嫌悪感が非常に強くなるということを感じる。

 それに比べれば、自我境界線がとけているときというのは、他の人と仲良くしたい、自分のことをしゃべりたい、といったような気持ちが強くなり、世間への親和性が上がっているといえるのかもしれない。

 そして、私は時に、ちょっと前まで自我境界線がとけていたような感じだったのに、急に自我境界線を強く張るようになることがある。
 わかりやすく言うならば、ちょっと前まで人と仲良くしたい、自分のことを饒舌にしゃべりたいと思っていたにも関わらず、一瞬後には、他人を拒絶したい、他人に自分のことを一切しゃべりたくない、というような経験である。
 さらに言い換えるならば、躁エピソードとうつエピソードが急に入れ替わるとも言える。(簡単に言うなら気分循環性障害に近いエピソードである)


 経験上、自我境界線がとけた状態には躁病エピソード、自我境界線を強く張る状態にはうつ病エピソードと表現することも可能だと感じている。


 自我境界線がとけた状態、強く張る状態、というのをうまく表現する心理学用語、精神医学の用語を私は知らない。躁とうつといった用語で済ませているのかもしれないが、しかし、それではうまく表現できていないと感じているので、躁とうつはまた別の概念として捉えるべきだと思う。

 では、自我境界線の概念を言い表す言葉を誰も使ってこなかったかと言えば、そうでもない。

 自我境界線の概念をうまく言い表すには、ヱヴァンゲリヲンのA.T.Fieldの概念が非常によいということを感じていた。自我境界線がとけるという言い方はしなかったが、あれは同じような概念を表現していた。

 自我境界線を強く張るというのは、A.T.Fieldの展開、逆に、自我境界線がとけた状態の心理状態というのは、アンチA.T.Field展開の状態である。

 私の知る限り、A.T.Fieldの展開については多く言及されてきたが、アンチA.T.Fieldへの言及はあまり見ない。

 私が冒頭に述べた、自我境界線がとけた状態、というのはアンチA.T.Fieldの展開状態と表現してよいのではないか。

 そして、アンチA.T.Fieldの弊害とは、先に述べた、自我境界線がとけた状態の苦しみである。

 私たちの精神活動、承認欲求、寂しさ、満たされなさ、そういったものを、「自我境界線」という概念から読み解くことがどれだけ価値のあることなのか。
 まだわからないが、いい切り口となる可能性もあると私は考える。