ロロの空想

心に移りゆくよしなしごとを書いていくよ!

役割分担と利益相反

 役割分担をすることで作業の効率化が進むというのはある面で正しいことだと思うけれど、役割分担のデメリットについてはそれほど語られていない気がする。

 私は、日頃から役割分担のデメリットをよく感じている。
 そのことについて少し書きたい。

 役割分担は社会で、家庭で、至るところでなされている。ここでは、役割分担という意味をやや広義に捉えることにする。
 例えば、技術部と営業部といったような役割分担ではなく、教師と生徒、親と子、といったような立場の違いも含めて役割分担という言葉を使うことにする。そして、ここで語りたいのは、むしろ「立場の違い」という意味での役割分担である。


 はじめに、実際に具体例を挙げてみよう。

 親「世話みてやってるんだからいうこと聞きなさい。」
 子「頼んだ覚えはない。自由にさせてくれ。」

 この例は、保護者、被保護者という役割分担によって起こる対立である。
 
 もう一つ例を挙げよう。

 妻「家事と育児してもらってるんだから文句言うな」
 夫「人のお金使っているくせに偉そうにするな」

 これは、扶養者、被扶養者の役割分担によって起こる対立である。


 これらの例は家庭内の役割分担によって生じる対立である。
 家庭内の構成員が皆同じ役割を持っていた場合はこのような対立自体が起こらないだろうと推測される。


 私が思うに、役割分担というのはたいてい利益相反関係を生み出す。したがって、対立も必然的に起こる。


 だから、私はできるだけ役割分担をしない方がいいと思っている。

 可能な限り自分が全てできるようにすればよい。
 さっきの親と子の対立ならば、子供の食事、洗濯などを親だけがするのではなく、子供と親で同じように家事をするようにすればあのような対立は減る。

 二つ目の例は、現在の社会では解決が難しいが、両方が何らかの収入を得ていればあのような対立は減る。


 さっきの例では家庭内だけの例を見たが、社会についても同様である。
 生徒に勉強させたい教師と勉強したくない生徒、みたいな対立は、お互いに教え合って勉強するという環境が作られれば、対立が減るだろう。
 技術部や経理部と営業部が一緒ならば、
「くそ営業が無茶な受注してきたせいでこちとら地獄だ!」
 みたいな対立も減る。
 文系と理系で、「文系はクソ」「理系はクソ」などという対立も、文理どっちもできていればそんな対立は起こらない。

 もっと身近な例でいえば、
 スポーツでのポジション分け、楽器のパート分けなども役割分担である。

 

 世の中、役割分担のせいで起こる対立が非常に多い。

 そして、それらは、どうしようもなくて役割分担をしていることもあれば、役割分担をしたほうが少しだけ効率が上がることや、むしろ役割分担をしないほうが効率も生産性も上がるのに役割分担をしているものなど、様々である。


 役割分担のデメリットを知ってほしい。


 役割分担について私が思うのは、
「全部できるようになった上で必要になったときにだけ役割分担すればよい。極力役割分担はすべきではない。」
 ということである。

「全部はできないから役割分担してんだよ。」
 みたいな声も飛んできそうだが、まあ、一人が技術のエキスパートかつ経営のエキスパートかつ営業のエキスパートみたいなのになろうと思えばたしかに難しいかもしれないが(とはいえ一通りできたほうがいいとは思っている)、親と子で同じ家事をするとか、スポーツで一通り全てのポジションを経験してみるとか、そういったことならとりあえず役割分担する前にできるだろうと思う。


「全部できるようになってしまえ!」
 は確かに暴論ではあるが、これは私自身が一人でだいたい何でもできるようになってしまおうという性格のせいだからである。


 でも、ほんとに、役割分担はできるだけ減らした方がいいと思う。

 最終的には役割分担をするときが来るにしても、その気になればいつでも役割を交代できる、くらいに全部できたほうが対立が少ないと思う。

 とりあえず、一通りできるようになった上で、実際の役割分担は、比較優位の法則にしたがって決めればいい。
 


 私が思うに、役割分担によってタコツボ化した役割による対立、弊害、というのはかなり大きいと思うし、それを知って
「とりあえず一通りできるように」
 という思想で制度が組まれている世界もある。

 例えば大学の一般教養。自分の専門に進む前に、そこそこ幅広く学ぶことで周辺知識を取り込んで学際的な考え方ができるようになる(ことを期待されているが、実際はどうなのかは知らない)。

 あるいは、医学部卒業後の初期研修医のスーパーローテート。これも、とりあえず一通り内科と救急やいくつかの診療科の診療ができるようになるように制度化されている。


 他の世界にも役割分担してタコツボ化しないようにする制度や工夫があったほうがいいと思う。


 さっきもあげたが、スポーツと音楽は、もっと幅広くやってもいいと思う。ポジションごと、パートごとの対立を減らすために、まずは全ポジション、全パートを一通りできるようにすればよい。そっちのほうが、実際に上達もしやすいだろう。

 これは役割分担からやや話が逸れるかもしれないが、スポーツに関しては、野球、サッカー、バスケ、テニス、卓球、バレー、陸上、など、全スポーツをローテートして、すべての種目をそこそこできるようにする、みたいなスポーツクラブがあってもいいと思う。そっちのほうが様々なスポーツ技術を体得したいい先生も育つし、生涯を通していいスポーツ人生を送れるだろう。

 音楽に関しても、鍵盤、弦、パーカッション、管、声楽、みたいにすべての領域をまず一通りできるようになれば後々の成長もしやすいと思う。

 ちなみに、美術はたいてい油絵、水彩、彫刻、塑像と全てやるし、全てやることでよりよい立体把握能力や色彩感覚が身につくみたいなところがある。

 

 


 途中から話が逸れてしまったが、もう一度今回の趣旨を述べておくと、

 「立場の違いによる利益相反が様々な対立を引き起こす。役割分担しなくてもよいならしないほうがよい。」

 というのが私の思うところである。