ロロの空想

心に移りゆくよしなしごとを書いていくよ!

【脚本考察・感想】打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?ー私ならこういう脚本にする。

 
※本記事は、本映画、「時をかける少女」、「ひぐらしのなく頃に」、「魔法少女まどか☆マギカ」、「Re:ゼロから始める異世界生活」、「秒速5センチメートル」、「ヱヴァンゲリヲン TV版&旧劇」のネタバレを含みます。

 

 2017年8月18日公開の「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?
 を見てまいりました。(以下、「打ち花」と呼称。)

 もともと、この映画を見に行ったきっかけというのは、シャフトの大ファンというのがありまして、シャフト40周年のマドガタリ展もちゃっかり行かせていただきました。

 今回、新房監督が総監督をやっていて、渡辺明夫さんがキャラデザで、神前暁さんが音楽ならもう見るしかない、ということで観てきました。
 相変わらず映像技術は、めちゃくちゃすごかったですよ。
 この映画はCGを結構がんばってた感があります。
 シャフトは傷物語の映画辺りから積極的にCGを使い始めたなという印象があったんですが、今回の映画は、風車とか、キーアイテムとなる丸い球とか、花火とか、電車とか、CGのレベルがすごく高かったです。
 人物はあともうちょい動きが柔らかければ…と思いました。

 あと、序盤の映像観て
「シャフトっていつもプール無駄に深いよな。」
って思いましたが、あれイメージ映像であってプールじゃないのかもしれませんね。

 神前暁さんの音楽は、今回は全体的にオーケストラ調でした。

 物語シリーズとかまどか☆マギカが単楽器かアンサンブル調で、傷物語はジャズ調でしたが、それに対し今回はオーケストラ調と、神前さんも扱う音楽の幅がまた広くなられたんだなぁと感動しておりました。

 また、エンドロールで知ったのですが、空間設計から劇団イヌカレーの方が参加されてたんですね。たぶん最後のあのぐるぐるした世界か、変な形の花火か、その辺りでしょうかね。

 あと、米津玄師さんの主題歌と、なずなが歌ってた劇中歌もめっちゃよかったですね。今でもずっと口ずさんでしまってます。

 さて、本編。

 先に述べたように、映像技術や音楽は非常に素晴らしく、さすがシャフトだと思いましたが、しかし。

 個人的には今回の脚本が非常にうすく感じました。

 例えるならば味付けを何もしていない昆布だしでした。

 好みの問題かもしれませんが、魔法少女まどか☆マギカ物語シリーズ、あと最近ですと、三月のライオンなんかを味わったシャフトファンからすれば、シャフトなのに毒々しさがないというか、あっさりしすぎだなあと感じたんですよ。

 でも、今回の打ち花も一つ、一つのシーンはいいシーンなんですよ。自転車に乗って駅まで走るシーンとか、灯台から二人で観る花火のシーンとか、灯台から落ちながら時間戻る球(以下、ifボールと呼称)投げるシーンとか、海の中でキスするシーンとか。


 でも、個人的に感動があんまりなかったんですよ。
 あー、心動かされるって感覚があんまりなかったんです。

 それがなんでなのかなーってのを今回考察しようと思って記事を書きました。

 そして、ではどのようにその脚本を変えればそれが解決されるのか、ということについて、考えてみました。

 ということで、以下、脚本の批判的考察をはじめます。これは私にとっての"if"の話です。

・原作について
 打ち花は元々は1993年に岩井俊二監督による実写ドラマだったとようですが、私はそれを観ていませんし、小説版になっているのを読んだわけでもありません。
 なので、今回の考察はシャフトのアニメの脚本においてのみの言及です。

・タイムループものというジャンルについて
 結構、TwitterのTLでは、打ち花はポスト君の名は。を狙っているみたいな意見もありますが、元々の原作から考えて、ポスト君の名は。ではありません。

 そして君の名は。は同じ時間を繰り返したというのとは少し系統が違います。君の名は。は最後の時間を1回だけ繰り返しましたが、他は繰り返しではなかったですしね。

 では、タイムループもので代表的なものは何かというと、私が思い当たるのは、「時をかける少女」と「ひぐらしのなく頃に」と「魔法少女まどか☆マギカ」、「Re:ゼロから始める異世界生活」ですね。

 今回の脚本考察についてタイムループものとしてはこの三つを比較対象として考えてみたいと思います。


・打ち花の脚本の復習
 脚本の考察を始める前に、土台となる打ち花の脚本についておさらいしておきます。ここでの解釈が間違っていても、考察が変な方向に行くかもしれないので。

・1週目

 なずなの家庭環境…なずなはなずなの母と2人目の夫(というかもともと浮気相手)との子。映画途中に出てきたのは、なずなの母の3人目の夫(仮)。

 1学期最終日、なずなは通学途中で寄った海岸でifボールを拾う。
 なずなは母が再婚するために引っ越さなければならず、転校する旨を伝えた手紙を担任の先生に渡す。
 その日は茂下神社のお祭りと花火大会がある日、最後の日なのでみんなで学校の大掃除をする。

 ノリミチとユウスケはプールの掃除当番に当たる。
 プール掃除に来たところになずながいた。(ほんとになんでいた?のりみちが当番で来ることがわかってたのか?)

 なずなとノリミチとユウスケの競争。
 なずなが勝ち、ノリミチより早かったユウスケを花火に誘う。

 花火を男たちで見に行くように話がまとまる。

 ユウスケ、なずなとの約束をすっぽかす。
(なぜすっぽかした?恥ずかしかっただけなのか?それともなずながノリミチのことを好きなのを察して譲ったのか?)

 なずな、出ていったのがばれて母親に連れ戻される。

 ノリミチ、ユウスケへ怒りと嫉妬の鉄拳。

 もしも、俺がプールで勝っていたら。
 そして、時は遡る。

・2週目

 プールで泳いでたところから。今回はユウスケにノリミチが勝つ。

 なずなはノリミチを花火に誘う。(ユウスケのときより恥ずかしがってる感があるので、やはりこちらが本命か…と気付く。)

 以下途中まで同じ。

 なずながノリミチの家に迎えに来て、二人で自転車に乗って逃げる。

 電車乗る手前でなずなの母と父(仮)に連れ戻される。

 ノリミチ意気消沈しながら男たちと合流し、灯台で花火をみる。

 せんべいのように平べったい花火。

 んな馬鹿な。こんな花火があるはずがない。
(なにゆえ、こんな怪奇現象が起こるのか。ifボールを使ったことによる副作用か。)

 もしも、俺があのとき、なずなと電車に乗っていたら。
 ノリミチ、ifボールを投げる。

・3週目

 電車のところから。ノリミチ、なずな父(仮)に勝つ。なずなの奪還に成功する。

 電車に乗り込む。
 しかし、電車に乗っているところを男共に発見され、嫉妬に燃えたユウスケは鉄道営業法に違反してまでなずなとノリミチの電車を追いかける。(電車に追いつく驚異の脚力!)

 そして、なずなの母たちにも見つかってしまう。

 次の駅で見つかったなずなとノリミチは灯台へと行き、てっぺんで花火を見る。

 しかし、花火は奇怪な形をしていた。
 そんな二人を嫉妬に狂ったユウスケが突き落とす。
 海へと落下する二人。

 もしも俺たちの駆け落ちが見つからなかったら。
 ノリミチ三度目のifボールをスロー。


・4週目
 
 電車の中から。
 ノリミチはなずなを押し倒してやり過ごす。
 
 しかし、電車は方向を変える。
(なぜ方向が変わった?ノリミチの願望の力がそうさせた?)

 海をすべり、元の場所へと帰ってきた電車。
 そこには、不思議な世界が広がっていた。

 誰もいない世界。

 そこで、二人で海へ行き、じゃぽんと泳いでキスをして、抱きしめ合う。

 誰もいないと思いきや、なぜか飲んだくれのおっちゃんはこの世界にいて、ifボールを打ち上げてしまう。
(このときのifボールがやけに大きかった。願望を叶えるたびに何かを蓄えていたのか?)

 壊れるifボール。
 元に戻る時空の歪み。

 その砕けちる世界の中で、それぞれの登場人物が、自分の望んでいたifの世界を夢見ていた。


 夏休みが明けて。
 なずなは結局引っ越してしまった。
 ノリミチは、灯台?かどこかでなずなを懐かしんでいるため遅刻していた。
(このとき、なずなとノリミチは本当はどこにいたのか?まさかifボールが壊れたのでifの世界線のように駆け落ちが成功することはないと思ったが、本当になずなは転校し、ノリミチは遅刻しているだけなのだろうか?)

 

・今回の脚本の批判的考察で考えること
 さて、この脚本に対して、主に以下のような点から脚本を考えたいと思います。
・なずなの人物描写
・物語の必然性
・タイムループの使い方
・盛り上がりの上げ下げの要素
 それぞれについて、どう脚本を改変したら、自分好みの脚本になるのか、ということを書いていこうと思います。

 

・なずなの人物描写
 個人的には、なずなという人物が最後まで謎を残したままだったな、という印象でした。
・なずなはなぜノリミチを好きになったか
・なずなはなぜ家出したのか
・なずなはどうビッチなのか
・なずなはなぜ急に泳ぎだすのか
 なぜ、なずながノリミチを好きになったのか、本当に好きだったのか(たぶんそれはそうだと思いますが)、そういったことが描かれていないので、いまいち、なずなのノリミチに対する恋心みたいなものがよくわかりませんでした。けっこう、恋愛ものって「なぜ好きになったのか」っていうきっかけ、その好きになるまでの必然性ってのがあるとすっと納得できるものです。今回は、そういう設定だからそういうものなのだろう、と思いましたが、個人的にはここをもう少しわかりやすくしてくれたほうがいいんじゃないかと思います。
 なずなとノリミチとユウスケは、元々3人仲良しだったという設定にしたほうが、わかりやすく、また三角関係がわかりやすくなっていいと思います。
 それで、ノリミチとユウスケの内片方にだけ引っ越しのことを伝える、っていうことがなずなにとっての告白という演出もできますし、恋愛の必然性も描きやすくなります。
 それに、ノリミチにとって、なずなと駆け落ちをしようっていう動機づけの説明にもなります。

・なずなはなぜ家出したのか
 おそらくは、なずなは生みの父親のことが好きで、新しいお父さんがあまり好きじゃなかったんでしょうし、男の人を次々帰るお母さんのことが許せなかったんでしょう。
 しかし、映画中ではあまりそういった家出の動機がわかりやすくは描かれていませんでした。
 お母さんのこと嫌いなのかと思いきや、電車の中で「ママがよく歌ってた曲」といって歌を歌うことから、母親のことがそんなに嫌いだとも思えません。
 このあたり、もう少し、生みのお父さんへの執着心とか、そのお父さんを忘れて次の男と再婚してしまう母親への憎悪を描いたらよかったんじゃないかと個人的には思っています。

・なずなはどうビッチなのか
 ビッチの血が流れているとなずなは電車で言っていましたが、イマイチどのあたりがビッチなのかわかりづらいです。たしかに、のりみちとゆうすけを適当に選んだところとか、ビッチっぽさはあります。また、東京で風俗店で働こうとしていたこととかも、そういったところを伺わせますが、イマイチ伝わりづらかったです。
 好きだった父親が死んでしまったり、母親が再婚しようとして家庭内不和があったり、そういったメンヘラ要素は揃っているんですし、なずながメンヘラビッチになる世界線を作ることで、なずなの家庭環境へも切り込め、ビッチ発言に対しての妥当性が生まれると考えます。

・なずなはなぜ急に泳ぎ出すのか
 プールでも急に泳ぎ出しましたけど、謎なのは夜の海で泳ごうと言い出したあのシーンです。

 夏とは言え、夜の海なんてめちゃくちゃ寒いですし、何がいるかわかりませんし、入ったらベタベタするに決まってます。それに着替えもなさげです。
 そして、あの岩場から海に入ろうとする度胸。
 夜の海で、あんな岩場で、あんな軽装備で入ろうとするとか、絶対怪我しますよ。
 岩場で身体中血だらけになること必至だと思います。
 なぜ、あんな無謀なことをしようとしたんでしょうか?
 破滅願望があるということなら辻褄は合うかもしれませんが、イマイチそういうニュアンスではなさそうです。


・物語の必然性
 なずなの人物描写で書いたなずなの恋愛感情や家出の理由についてもそうですし、ifボールを使わなければならない理由というのについては後で書きますが、物語全体に必然性というものが足りない気がしました。
 それぞれの人物の行動に対して、観客が納得できる理由、その行動背景というのがイマイチ描かれていなかったという印象です。これをもう少し描いたほうがわかりやすいでしょう。
 タイムループの必然性については、続けてタイムループの使い方の項で書きたいと思います。


・タイムループの使い方
 今回は、3回くらいタイムループしているわけですが、正直、どれも時間を巻き戻さなければいけないような重大事項じゃないではないか、と観ていて思いました。
 決定的な不可逆変化が起きたわけではないからです。
 なずなの転校ということであれば、秒速5センチメートルのように、電車を乗り継いで会いに行った方が感動的で絵になる物語になります。

 基本的に、タイムループというのは、もう取り戻せないことが起きてしまったときに仕方なく使ってこそ、その真価が発揮されると思います。

 「時をかける少女」では、はじめこそ、ふざけたような理由ばかりで時をかけていましたが、最終的には、大事な友達の「死」ということを巻き戻すためにタイムループが起こったという点で感動的なストーリーになっています。
 「まどか☆マギカ」も、「ひぐらしのなく頃に」も「Re:ゼロから始める異世界生活」も、これらタイムループものに共通するのは、「大切な人の死」という取り返せない、決定的な不可逆変化を巻き戻し、幸せなゴールへと到達するために登場人物たちががんばる、という点で一致しています。

 したがって、私の意見としてはタイムループを使うならば、それぞれの世界において、取り返せない変化を起こした方が効果的だと考えます。

 一回目の世界線では、タイムループが起きるということの自覚という意味も兼ねて、本編のような軽い感じでいいかもしれません。

 二回目の世界線では連れ戻されてしまったなずなたちは一家で移動中に交通事故で死んでしまうなどして、タイムループの必然性を生むと、なずなが死んでしまった世界で、ノリミチやユウスケがどれくらいなずなを好きだったかを表現することもできますし、ifボールを使う必然性が生まれます。

 三回目の世界線では、東京へ出れたはいいものの、仕事が見つからず、とりあえず泊まった先で、母親への憎悪と父親への愛を語りながら泣き始めてしまったなずなとノリミチ君のラブシーンって感じにすると、なずなの心の闇を描けます。ここでのラブシーンはなずなが自分を傷つけるためにしているということにすれば、生みの父親を忘れて結婚してしまった母親や、自分を残して死んでしまった父親への愛の深さとその愛の不足からくる破滅願望、その代償として使われるノリミチ君の切なさ、を同時に描けます(とはいえ、こんなシーンを描くと爽やか感ゼロになってしまいますが)。ちょうどエヴァミサトさんみたいな感じですね。
 自暴自棄になってしまったなずなに手が付けられなくなり、自分の無力さを感じたノリミチ君がifボールを投げれば4周目へとつなげることができます。
「これじゃなずなが幸せにはならない。」
 と言いつつ投げれば、いいですね。なずなの幸せのためにタイムループするノリミチ君という設定結構いいと思います。
 あるいは、なずながただ交通事故で死ぬよりもひどい世界という演出ができれば、最後のループでのシーンがより感動的になるので、それもありかもしれません。ラブシーン中にメンヘラったなずながナイフでノリミチ君を刺そうとして、逆にノリミチ君がなずなを刺してしまうとかいう世界観ならより悲劇的です。

 四回目の世界線では、連れ戻されても事故に遭って死んでしまってダメ、そのままいっても東京へ出て行ってしまってもその先がうまくいかない、といった事情から、二人だけの世界に逃げ込んで、二人だけの世界で暮らそうとするノリミチ君を描いたらノリミチ君の必死さが描けていいと思います。ここで、本編のように、キスしたり抱きしめたりするシーンを挟めば結構山場としていい感じな気がします。二人の愛としては美しいですね。
 しかし、二人だけでいても何もことは進まない、と考えたノリミチ君はなずなに、母と、新しい父と、そして死んでしまった父と向き合って乗り越えるように伝え、なずなは現実と向き合う覚悟をします。

 二人だけの幻想の世界から帰ったなずなは、なずなを探していた母と会い、自分の思っていた想いを母に告げ、納得したうえで新しい父を迎えて、やはり転校することに決めることにします。
 なずなは現実を受け入れたという点で、他の世界線とは違い、交通事故に遭って死んでしまうということもなくなるという設定にしましょう。

 最後は、母と和解したなずなとノリミチ君が、きれいな丸い打ち上げ花火を横から見て、
「やっぱり花火は丸かった。」
(ものの見方を変えれば正しい答えに行きつく。=現実から逃避せずに現実に向き合って乗り越えて美しい世界へとたどり着こう)
 みたいなラストにつなげればテーマ性もばっちりですし、奇妙な花火の形という伏線も回収できてよい気がします。
 エヴァの旧劇の最後のシンジ君っぽさあります。


・盛り上がりの上げ下げ要素
 さっきの項で、打ち花の脚本を改変するならこう、ということはもう書いてしまったので、ここでは、それほど書くことがないかもしれませんが、本編の脚本は、なずなとの海の中でのキスシーンが最高潮だったと思いますが、さっきのタイムループの使い方の項で書いたように、物語の最高潮は、最高潮のシーン自体の美しさというよりも、それまでの困難、そこにたどり着くまでの軌跡が大切な気がします。
 今回の映画はそれぞれのシーンは非常に魅力的で美しいのに、映画全体で盛り上がりに欠ける感覚がしたのは、おそらくネガティブな感情や困難さの描写が少なかったためだと思います。

 クライマックスをより感動的にするには、登場人物たちをもっといじめて、もっと困難を乗り越えてもらうのがよいと私は思います。

 


・おわりに
 以上、偉そうにも打ち花の脚本の改変案を書いてしまいました。原作へのリスペクトがこれっぽちもないと怒られてしまいそうです。

 今回の映画は、私にとって、物語の構成をどのように作るか、といったことを自分の中で考え、確認した作品でした。
 
 私自身、物語を作る技術についてはまだまだ勉強中ですが、今回の映画は「自分ならどういうストーリーにするか」と考えるいい機会になりました。
 このような映画の観方をさせてもらえてある意味よかったのかもしれないと、思っています。


 ちなみに、なずなはかわいいので好きです。それにちょっとえっちです。
 特典応募したの、当たるといいなぁ。