ロロの空想

心に移りゆくよしなしごとを書いていくよ!

教育とか勉強って言うたらモチベがすべてじゃないの??

 

 知識をつけるのは好きだけども、あまり実感がないものがつらつらと述べられているのはあまり楽しくない。

 私は学習について、ひとついい考えを思いついた。
 これは、一つの仮説であり、理論である。したがって調査に裏打ちされたような示唆のある内容ではないし、あるのはただ私の個人的な経験に支えられた思考である。

まず、今日思ったのはこれ。
「教育、自己学習においては、モチベーション=学習ニーズを高めることが重要である」

学習というものを、一つの現象として捉えると案外、分析がすすむ。学習というのを、化学反応のように一つの現象として捉えてみよう。

学習は、知識を得るための行動として捉えられる。

では、教育とは何をすることなのかと考えれば、それは学習を促す行為として捉えられる。
化学反応に例えれば反応を促進するための働きである。後で述べることにも関連するが、教育のやることは、化学反応で言うところのエネルギーを与えることか(熱を加えたり)、必要なエネルギーを減らすことである(触媒のように)。

学習は、学習ニーズ=モチベーションが学習コストを超えた時に起こると考えれば良い。


教育において、必要なのは、学習を促すことであり、その方法としては、学習コストを下げるか、あるいは学習ニーズをあげることが考えられる。

 先に述べた化学反応の例えのように。

学習コストを下げることは、学習時のストレスを減らす必要がある。一つは、情報を一つにまとめてわかりやすくすること。
 学習が興味深くなるようにアレンジすること。

 もうひとつが学習ニーズを高めることである。
 これが重要だと私は思っている。

 いかにして学習ニーズは高められるのか。
 その方法の一つは、学習によって得る知識の必要性を感じることであろう。

 どのようにして知識の必要性を感じるのか、それは、実際に知識が必要な状況を経験することでできるだろう。
 故に、early exposureは意義が高いと考えられる。

 これがもっとも機能しているのが、プログラミング分野である。

 はじめから、CPUの構造、RAMの仕組みなどをやってからプログラミングに入るチュートリアルは少ない。

 まず、コードを書いてみて、コードを最適化するには、コードによってこんな機能を実現するにはという状況に置いて、コンピュータ・サイエンスの基礎へと進んでいくという構造である。

 基礎というのは、往々にして抽象化の塊であり、抽象化してあるからこそ汎用性が効き、汎用性が聴くからこそ基礎なのである。
 基礎の上に応用が成り立っているという思考を考え直す必要がある。

 基礎の上に応用があるというのは、間違いではないが、一面的な捉え方だ。
 基礎ー応用という軸で考えるから良くないのだ。

 これは、抽象的で汎用的ー具体的で個別的
 という軸で考えるべきなのだ。

 具体的で個別的なものに触れて学習ニーズをたかめ、抽象的で汎用的な知識を身につけるというのは理にかなってはいないか??