ロロの空想

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「ネットワーク理論」の提唱と、人間組織、建築、コンピューターネットワーク

 コンピューターのネットワークを参考に、コンピュータ、人間の組織、建築に適用可能な「ネットワーク理論」というのを考えた。

 ベースは、デザインかコミュニケーション理論か、群論的な数学的なものになるのか、何になるのかわからない。

 以下、理論のための用語解説

ノード…入力、出力、(何らかの処理の)機能を持った単位。

ネットワーク…複数のノードが入力と出力でつながったもの。ネットワーク自体が今度はノードとなり、より大きなネットワークを作ることもできる。

 

ノード間での入力と出力

 ノード間での入力と出力される内容について、以下のように考える。

  •  コンピューター…情報
  •  人間組織…情報
  •  建築…人

 入力と出力は、コンピューターで言うところのI/Oである。人では、人に話す・聞くである。建築では、特定のスペースに人が入る、出るである。

 処理の機能については、人では、「考える、作る」などを想定している。建築では、「食事する、トイレする、買い物をする」といったような、そのスペースで人が行う行為を想定している。

 

ネットワーク理論は何のために役立つか

 役に立つか立たないかと、日々学問が値踏みされる現状に置いて、どう役に立つかを考えることは、悲しいかな、重要である。私は、ネットワーク理論をコンピューターのネットワーク設計、組織設計、建築設計、をするときの、設計の良し悪しの評価の切り口として、また設計をするときの思想として有用であると考える。

 

ネットワークの良し悪しについての思想

 ノードは、1つ以上の機能を持っている。ノードが複数の機能を持っている時、ノードには負荷がかかり、入力から出力までのパフォーマンスが低下する可能性が考えられる。そこで、ひとつのノードが持つ機能をほかのノードに分散することによって、ノードのパフォーマンスを向上させればよいのではないかと考えられる。

 しかし、なんでもかんでも機能を分散させれば良いというのではない。ノード間の通信には、必ず「通信コスト」がかかるからである。超電導のように、ロスがなければいいが、現実はそうはいかない。

 ということで、機能の分散によるメリット>通信コストのときには、機能の分散をさせることは有用であるが、そうでない場合は、機能の分散は全体としてのパフォーマンスの低下を招く恐れがある。

 また、ネットワークとしてのパフォーマンスの上昇のために必要なのは、各ノードの機能の向上か、あるいは通信コストの低下によって通信ロスを少なくすることである。

 

 まず、機能の分散について。

 人間の組織で例えれば、一人の人(ノード)が、情報収集、企画、営業、実行をすると、小回りがきいてスピード感が出るが、大規模なプロジェクトでは分業して行うことになる。それぞれのプロジェクトメンバーはお互いに情報交換し、ひとつの組織(ネットワーク)として機能する。

 しかし、一人で出来てしまうような小さなプロジェクトに、何人も人を配置すると、お互いの情報交換がロスになり、「一人でやったほうがいい結果出る」というようなことになる。

 建築で例えれば、トイレやキッチンを個人の部屋につけるか、共有化するか、といったような話で、それぞれの家庭では、一戸ごとにあったほうが融通が聞くが、オフィスやショッピングセンターでは、ひとつに集めたほうが、機能的にはいいものを実現できる。

 

次に、よいネットワークを作るための通信コストの低下について、人間の組織では、人と話すのにいちいち手続きを踏んで面会しないとダメなようでは、通信コストが高く、ネットワークとしてのパフォーマンスは低い。人同士の情報交換をもっとスムーズにできるように組織設計をする必要がある。

 建築においても、それぞれのスペースの移動に非常に長い時間や階段による移動があると、建物全体のネットワークとしては良いとは言えない。エレベーターをつけたり、動く歩道をつけるなどして、通信コスト(人の移動コスト)を下げる必要がある。

機能分散のメリット

機能の分散をすると、何が良いか、ということに関しては、まず、分業によって専門化することで、それぞれの機能の水準が上がることが挙げられるだろう。

 経済の発展の原則も分業であった。

発想の着想

 コンピューターのネットワークインフラが好きで、分散コンピューティングについて考えていたり、Webサーバーのトラフィックについて考えていたりするうちに、抽象化すれば、人の組織や建築にも生かせないだろうか、さらに抽象化すれば数学的理論として確立できないだろうか、あるいはコミュニケーション理論などを礎として、ひとつの学問理論として確立できないだろうか、と思った。