守りの承認、攻めの承認
今の生きている人、特に若い人は、承認を求めて生きているといっても過言じゃないくらい承認をベースにした行動をしているような気がする。
私もその一人だろうか。
果てしない承認欲求はどのようにして生まれ、どのようにして解決されるのかわからない。
SNSは、承認欲求を満たせたとしても、より承認欲求の需要が高まって、結果、承認の供給よりも需要のほうが増えるんじゃないかとすら思う。
私たちは、承認を求めてどんな行動をしているのだろうか…。
私は、人々の承認をめぐる行動を大きく2つにカテゴライズすることができるのではないかと気づいた。
それを、「守りの承認」と「攻めの承認」と私は呼ぶことにした。
守りの承認は、自分が馴染みある人たちで自分の周りを固め、他の人を介入させない、排他的な構造によって、いつも同じ人といられるようにすることで、リーチは短くともよい承認を得られるようにする行動である。
これは、多くの人に典型的な行動で、「いつも同じ人とつるむ」行動が当てはまる。
非常に合理的でわかりやすい行動だと思う。
一方、攻めの承認は、自分が社会から承認されることを目指して、社会で縦横無尽に動くようなタイプ。
これは、いつも同じ人といるというわけではないけれども、社会へと発信することで社会から承認を得るようなタイプだと思う。
守りの承認のほうが、安定して承認が得られるし、よいところもおおい。
けれど、攻めの承認のように社会への発信力は持てない。
攻めの承認は、一件社会へのインパクトがありそうで、孤独を抱えているというか、孤独の裏返し的な要素もあるように感じる。
どちらの承認も特徴がある。
どちらもの承認タイプを満たす行動をすることはできないのか。
承認行動の違いを生むのは何なのか…
その思考過程の違いこそが、これからの人々の行動を考える上で重要なキーになるような気がしている。