児童福祉を勉強中。これからの子と親の援助―。
今は日本の児童福祉について勉強している。日本の福祉は思ったよりもたくさんのシステムがあって驚いた。
母子生活支援施設、自立支援施設、児童養護施設、里親制度、グループホーム、児童厚生施設、とあんまり馴染みのなかった制度名や概念がたくさん出てきた。
核家族化が進み、また、親の社会参加も進む中で、子どもの保育・教育にさけるリソースは多くはないし、周りに助け合える環境がない中で不安と孤独を抱えながら子どもを育てる親もいる。
子どもの側からみれば、家庭においては親の監督の下で生きるしかないことに不安を抱えている子もいるだろう。
親の権利は子どもにとっては諸刃の剣である。
子どもも親も、救うことはできないだろうか。
より負担の少なく、幸せな養育は実現できないだろうか。
子どもは家庭の所有物か、社会的養護の対象か。
私は、それについて考えた。「子供の権利条約」では、以下のように書かれている。
子どもの権利条約の第9条-1
締約国は、児童がその父母の意思に反してその父母から分離されないことを確保する。
親は子どもを養育する権利と同時に義務を負う存在である。
こうした背景も踏まえてに、どのように親と子を幸せにできるのか。
それは、人間としての幸せを考える上でも重要になるはずだ。
順調にいってそうな親と子に対するアウトリーチは効果的ではないだろうか?
医療や福祉の範疇に入ってくる人は、ある程度の困難を抱えている人が多い印象を受ける。
かといって、なにも問題なくスムーズに言っている人には、援助は必要ないのであろうか。
そんなことはないと思う。うまく言っているように見せかけてるだけの人もいるんじゃないか。
壊れる寸前になって、あるいは壊れてから援助を求めるというのだけでなく、上手くいっている人にも定期的なメンテナンスをするというのがいいのではないだろうか。
車を壊れてから修理屋に持っていくのではなく、壊れる前に定期的なメンテナンス、車検を受けるものだろう。
人は自分のことになると強がりなのかもしれない。
必ずしも、援助するのは行政でなくてもよいだろう。
助け合いができればいい。
個人の困難を助けあいで乗り越えていくことはできないだろうか?