ロロの空想

心に移りゆくよしなしごとを書いていくよ!

コミュニケーション能力っていうけども。

 いつの間にか「コミュ力」とか「コミュ障」という言葉が市民権を得ていろんな人が使っていますが、私にはどうも「コミュニケーション能力」という言葉を誤解している人が多いように思えます。身内でおしゃべりすることがコミュニケーション能力なんですか?初めて会う人ととりあえずおしゃべりができたらコミュニケーション能力が高いんですか?「自分は初めて会う人とでもおしゃべりできるし、友達とはすごく長いことおしゃべりできるからコミュ力高いんだわ。」と思っている人がいるなら、それがほんとうにコミュニケーション能力が高いということなのか、一度考え直してほしいと思っています。本当にコミュニケーション能力が高いのかもしれないし、ただの勘違いかもしれない。

じゃあ「コミュ力」って?

 冒頭でいきなり否定的なことを書いたので、この記事を読んでくれている人からは反感を買っているかもしれません。これ以上何か書いても煽ることにしかならないかもしれないのでさっそく本題に入りましょう。

 上で述べたような「初めて会った人と話せる」「知り合いとおしゃべりができる」はコミュニケーション能力にとって大事な要素であることは間違いありません。ただ、コミュニケーション能力を構成する要素は、他にもたくさん、大事なものがあると私は思うのです。この話というのは、「コミュニケーション能力にとって大事な要素を見落としていませんか?」という、そういう話なのです。私が思うコミュニケーション能力にとって必要な要素をいくつかここに挙げます。「自分の意見を伝え、理解してもらう力」「相手の気持ちを考えながら話す力」「状況にあった話をする力」「色々なタイプの人とも意思疎通できる力」。このあたりが私は重要だと考えています。人と何かを話す時に、自分の意見をちゃんと表明して、しかも、相手の意見も尊重しながら、自分の意見も理解してもらう。これってすごく大事な力だと思います。他の人と何かをするときには意見の相違が生まれるのは仕方ないことですが、上手く議論できる力というのが備わっていれば、事はスムーズに進むはずです。そして、人との会話で重要なのは相手に合わせた話をするということです。車が好きじゃない人に車の話ばっかりしても困らせてしまいます。友達が何か気分が落ち込んでいるようなら、それとなく困っていることがあるのか会話の中で誘導して聞いてみるとか、そういうのも大事だと思います。相手が緊張しているようなら、差し障りのないおもしろい話をして相手を和ませたり、厳粛な雰囲気なら真面目な話をしたり、状況にあった話ができるのもコミュニケーション能力の大事な要素です。また、社会ではどうしても自分に合わない人もでてくると思いますが、そういう人とも話さなければいけない機会は多くあります。そのときに、できるだけ穏便に、そして必要な内容をきっちり話すということが社会生活では必要になります。

 以上のように、私はコミュニケーション能力には大事な要素がいくつかあると思っています。しかし、そういう大事な要素を見落としている人が多いんじゃないかと私は感じているのです。他にも私と同じようなことを指摘する人も実際たくさんいるんですが。だから、よく、高校生とかで多い「学力ないけどコミュ力あります」っていうタイプの人ってほんとにそうなのかなって疑っちゃうんですね。ほんとうにそう言っている人が、状況に合わせて正しいマナーをもって話ができるのか、自分の意見を述べられたり、相手の気持ちを尊重して、様々なタイプの人と話ができるのか、ちょっと疑問に思うことが多いんです。たしかに、彼らはコミュニケーション能力のいくつかの要素については人より優れているんだと思いますが、そこだけを見てコミュニケーション能力が高いといっていいのだろうかと。もしも学力が思考力や他者への共感力などを反映しているのだとしたら、学力がないけどコミュニケーション能力はあるっていうよく聞く話は、コミュニケーション能力の大事な要素が抜け落ちてるのじゃないかなって思うのです。

 もし、この記事を読んでくれた人が他者との交流の力、コミュニケーション能力について考えを深めてくれたのであれば私は光栄に思います。