ロロの空想

心に移りゆくよしなしごとを書いていくよ!

歳をとって自分を肯定する人

歳をとると、前とは違う考え方をするようになりますが、そんな風に歳を取って新しく身に着けた考えのほうが正しいとは限らないと思いませんか?

新しい考え方をするときって、「今までの自分の考え方は間違っていた。こっちのほうが正しい考え方なんだ!」って思ってその考え方を受け入れるからこそ、新しい考え方のほうが正しいみたいに思ってしまいがちですが、それって錯覚だと思うんですよ。

具体的にあげられる例が親に対する感情とか、子育てとか教育に対する考え方です。歳をとって大人になると、

「親の苦労がわかった。」

とか

「子育てすごく大変なのにたくさん迷惑かけた。」

とか

「人に教えるって大変な仕事だと思ったし、授業中に寝てたけど失礼だったなと思って反省してる。」

とか、今思うと自分がダメだったな、みたいなことを言う人が多いんですよ。でもこれって、親とか教育者になった自分を肯定する言葉でしかないと私は思うんです。自分がいま大変だから、その大変さをわからない子供とか生徒が悪い、みたいな考え方をしてるんですよ。こういう考え方をする人は逆に、また今度逆に立場が子供とか教えられる側に回ったとき、

「子供の気持ちを汲まなかった親の自分はダメだった。」

とか、

「生徒に退屈な思いをさせていた自分はダメだった。」

とか言うと思います。

 こういう考え方って誇張すると、例えば自分が商品を作ったりすることがあったとすれば、自分の商品が買ってもらえないと、

「消費者だった自分は、商品開発してる人の気持ちも考えずに商品を買ってあげなかった。せっかくがんばって作ってくれた商品を買わないなんてなんて失礼だったんだろう。」

みたいなとんでも発言とおんなじだと思います。

他にも、お酒とかに関してもおんなじようなことが言えます。はじめは酔っ払いとかお酒に対する嫌悪感を持っていても自分がお酒にはまると、

「自分はお酒のことを間違って認識していた。思っていたほどにお酒は悪いものじゃない。お酒を禁止するなんてひどい考え方だ。」

とか言うようになる人多いんじゃないかと思います。

こんな風に、大概の人は自分を肯定するように考え方が変わってると思うんですよ。そして、変わった後の考え方のほうが正しい考え方をしてると思い込んでしまいます。これは自分の考えを意識して監視してないと簡単に見落としてしまいます。だから、これって怖いんですよね。特に大人とか年上のほうが権力を握っている社会だと、歳をとって考えが変わった人が権力を握るわけで、そういった人は自分の新しく変わった考えが、若い時や子供の時に持っていた考えよりも正しいと思い込んでしまうので、若輩者がしいたけられます、じゃなくて、虐げられます。

こういうのを防ぐためにも、自分が何を考えてるのかを自分で知って分析できること、要するにメタ認知の力が大事だと思います。

ヘーゲル弁証法の説明の中で、「世界は理性的に進化していく」といったようなことを言っていた気がしますが、今回のようなことを考えると、必ずしも理性的に進化していってるわけでもないと思います。