ロロの空想

心に移りゆくよしなしごとを書いていくよ!

私たちに本当のものは何も見えていない

 私たちの目に本当のものなんて見えてないんだろうなって私は思います。

 そもそも正三角形を書こうとしても、寸分たがわず、1nmもずれずに全て等しい辺を書こうとしてもほとんど無理なはずで、正三角形なんていうのは概念の話で、実際には正三角形は存在しないとも言えます。

 そんな風に、自分が本当のものを見てるつもりでも、それはあくまで概念をベースに作られたコピー、偽物でしかないのかもしれません。人間はほんとはみんな「ほんとう」の人間とは少し違っているかもしれないし、優しさだって「ほんとう」の優しさとはちょっと違っているかもしれません。

 実際にこの世界に存在しているものが本物か偽物かはさておくとしても、この世に存在しているものを私たちは正しく認識できているんでしょうか?

 人によって眼の良し悪し、耳の良し悪し、見える色の領域、聞こえる音域が違うように、自分が見ているもの、聞いているものが全てだとは言えません。実際に触ってみたとしても、それは自分が触角として感じられるものでしかありません。人間と犬、蝶々ではもっとこの世の捉え方は違いますし、一体どれが本物の世界なのかなんてのは言えません。それぞれが見ている世界がそれぞれにとっての世界としか言えません。主観は客観とは一致しないのです。

 物事の捉え方だって人によって違います。人は言葉で区切られた概念しか考えることができません。石と岩の概念の違いがなければ二つに違いなんて存在しません。言葉の数こそ概念の数といえるでしょう。使う言語、知っている語彙によって世界は違うように区切られ、違うように見えるのです。もし同じような目、耳、身体などをもって同じ情報を受け取っていても、それは受け手によって違う捉えられ方をするのです。

 

 私たちは世界の見方がみな違うんですから、考え方もそれに応じて異なるものになるのかもしれません。

 ほんとうのことを知れないという歯がゆさは何とも言えません。そもそもほんとうのものがあるのかということが不安になってくるくらいです。

 

 そういえば、先の目とか耳とかの話はカントのいう感性、言葉による概念の区切り方の話はカントのいう悟性のことに当てはまるのかもしれません。