ロロの空想

心に移りゆくよしなしごとを書いていくよ!

自発的に自宅に閉じ込められている人々。

 家にいると、思い圧迫感と束縛感を感じることがよくある。そして、どこかに出かけたくなる。解放感のようなものを求めて。しかし、用事がないのに出かけたところで、行く当てなどない。家から出てみたところで、目的地はない。だから、どこにもいけない。どこにもいけないといった束縛感からは逃れられない。そういうときでも、とりあえず、家から離れたりしてみる。自転車を走らせて、適当に、当てもなく、移動してみたりする。しかし、それによって得られる実感というのは、まるで、空を殴ったかのような、のれんに腕押しとでもいったような、まるで達成感も満足感もない、そういった感覚である。やることがない。外に出て、やることがない。たしかに、やることを作ろうと思えば、作れるのだ。家の中で、勉強とかでもしてればいいし。絵をかいたり、文章を書いたり、お金になるようなことを探したり。掃除をしたり、洗濯をしたり。そういったことがないわけではない。しかし、それはしてはしなくても、すぐに支障が生じるようなことではないし、最終放っておいても何とかなる。それによって、益を得るのは自分だけだし、自分の責任である。しかし、そういったことからも逃げたくなるのである。

 一人で何かをしたところで、それはほかの誰からも観測されない。観測されないので、何をやろうがやるまいが、他の人からすればどっちでもいいのである。自分の存在したという痕跡は、どっちにしろ観測されない。一人でいるときの、束縛感、圧迫感というのは、そういうところからしょうじるのかもしれない。家にいて何かをしたところで、そのときに自分の存在の証は刻まれない。自分が存在していようが、存在していまいが、世界からしてみればあまり変わりがないのである。そして、それが嫌だからといって、何かをしようとしたところで、考えてみれば、ぼくにできることは何もないのだ。何もしていない、ではなく、何もできない。さらに、僕のそのときの感覚をより伝わりやすく表現するならば、何もすることを許されていない。つまり、何もしてはならない、といったように、誰に命令されたでもないが、自分の家に拘束されているのである。休みの日に、仕事もしていない。学校でやることもない。そんなにお金も持ってない。特にやるべきことも持っていない。そういった状況さえあれば、別に錠もいらない。僕は勝手に、自発的に、家に閉じ込められることになる。出かけるのにもお金がいる。お金なくして、どこにもいけない。近場で、何か目的がある用事も存在しない。お金があれば、なんなと用事は作れるだろう。経済活動も、商業活動も、慈善活動だって、できる。しかし、お金がないというのは、それだけで行動制限になっていた。なら、働けばいいじゃないか、と人は言うかもしれない。しかし、自分の都合のいい日だけ働ける仕事というのはなかなか少ない。学校の授業が始まってから働かなくてはいけないのも、なかなか都合が悪い。お金がないとはいえ、自分の創作活動の時間は削りたくない。そう考えてしまう。宿題をやるかどうかはともかく、夏休みの後半に、宿題が終わっていない状態で、どこかに出かけることをよしとはしない子供のようなものである。

 時間があること、移動に権力的圧力がないことだけが自由とは言えない。身体の自由があるとはいっても、実際、現実世界、お金がないと自由に何かをできないことは多い。実質の自由の制限である。僕だって、やりたいことはたくさんある。しかし、お金がない以上、できないものはできない。たとえば、友達同士で集まるのだってお金がいる。公園でもいいじゃないか、と人は言うかもしれないが、炎天下の公園に友達で集まったところでできることは知れている。何か遊ぶにも、何か話すにも、屋内のちょっとしたスペースが必要なのが今の文化である。身近に会おうにも、自分の家か、相手の家くらいしかないような気がするが、この時代、家にお邪魔させてもらう、もしくは家に来てもらうというのはなかなか簡単にはいかない。家庭の事情もある。家族だっているわけだし、一人暮らしだとしても、門限があるところだってある。結構神経を使わなければいけない時代である。それに、交通の便が発達したということもあり、知人、友達が近場にいるという例は結構少ない。たいてい、会うのにも一時間くらいかかる。そう簡単には会えない。

 そういえば、小さい頃から、こういった束縛感は感じていたのかもしれない。しかし、自分で、この束縛感に名前を付けることはできなかった。今なら、まだ車があることで、移動可能な範囲はだいぶ広がった。しかし、幼いころ、といっても小学生の頃は高学年になってもずっとだった気がするから、あれを幼いころといえるのかは微妙だから、まあ子供のころ、僕は、自分の家から半径200mくらいから出ることができなかった。母親に禁じられていた。と、それだけを聞くと何やら危険な雰囲気を感じ取る人がいるかもしれない。たしかに、うちの母親は、かなりしつけが厳しい人である。それは今でも変わっていない。子供に対する信用はかなり低いし、過保護なところもあるだろう。僕の住む家の近くには、車の往来が激しい道路があったのだ。ほんとにすぐそばだった。100mもなかった。母親は、僕が小学生以下だったころ、その道路へと出ていくことを禁じていたのである。要するに安全性の確保である。そして、僕が住んでいた住宅街はコの字型の住宅街だった。だから、その道路と反対側に回ろうとしたところで、どっちみち同じ道路に出てしまう。小学生の僕にとっては袋小路だった。逃げられない。ゆえに、半径200m。僕は、そのエリアから出ることが許されていなかった。ほんとうに、具体的に、小学生の全期間にわたってその命令が敢行されていたのかどうかは、今思い出してみると怪しいのだが、しかし、僕は、小さい頃から家の周りにとらわれていたことは確かだった。その後、その往来の激しい道路を歩くことを許されるようになっても(それでも歩道上で歩いてよいエリアは、歩道を縦半分に分けたときの車道と反対側のエリアだった)、例えば、中学生になっても、僕は、近くのちょっとしたショッピングセンターに行くことさえしていなかった。僕にはできなかったというべきなのかもしれない。学校で、そういった商業施設の立ち入りを禁止していたのである。そういった商業施設にはゲームセンターなども入っていた。そういった現場などに溜まる、不埒な輩に絡まれたり、その他面倒なトラブルに巻き込まれたり、もしくは巻き起こしたりすることを未然に防ぎたかったものと考えられる。中学生が被害者になるだけとは言えない。中学生は加害者になる可能性も大いに持っている。特にガラの悪い中学生がいた中学校となればなおさらである。今思えば、生徒の私生活にまでその権限を伸ばす行為は越権行為と言えなくもないが、当時、規則を遵守することことを正義としていた僕にとっては、禁止された行為を行うことは、自らの正義心のもとにできなかった。もし、仮に、自分の正義心が許していたとしても、学校で禁止されていること、親に禁止されていることは決してできなかったであろう。当時にして、最大の脅威にして、最大のパトロンだったのは実の親であった。その親が、特に母親が、そういったことは許さなかった。考えてみれば、僕の「規則を守る」といった正義心は、自分の判断に由来するものではなかったように思う。母親に守れと言われていたから守っていた。ただそれだけのことだったのかもしれない。刷り込み、である。僕の正義心、良心は、母親からの刷り込みの側面があった。母親の言いつけに従わない場合、鉄拳制裁、あるいは兵糧攻め経済制裁などが敷かれていたように思う。幼いころの僕にとっては、母親は絶対的権威者だったのである。母親には逆らえなかった。もし、母親の言いつけを破る隙があったとしても僕にはできなかった。僕はそういった風に刷り込まれていたし、僕の良心も、そういった風に育てられていた。誘拐された被害者が、逃げる隙があっても逃げようとしないのと同じだったのかもしれない、などというと、母親の子供への対応がまるで誘拐犯かのような誤解を生むのでやめておこう。母親は、そういった厳しい処置に対応するかのように、母親としての仕事も全うしていた。過保護で、過干渉だった、というだけなのだろう。

 そのように、僕は小さいころから、自分の家を中心として、あまり、遠くへと出かけることも、どこかのお店へと出かけることはなかった。自発的に家に閉じ込められていたのであった。

 さらに、高校生になっても状況はそんなに変わらなかった。多少行動範囲は広がったとはいえ、僕が住んでいたのは田舎だったし、通っていた高校もまた田舎にあった。どこか、都会地域に出かけようとすると、山を越えなければいけなかった。車がないと、行けるところは、住宅地の近くの小さなショッピングセンター、スーパー、そういったところくらいしかなかったのである。車がない、それに電車にのるお金がない高校生(バイトは禁じられていたし、する余裕もなかった)には、やはり、どこにも行くことはできなかったのである。今と状況はかなり似ているかもしれないが、当時は、今よりもお金は圧倒的に少なかった。

 こうして考えると、僕はこれまでの生涯を通して、ずっと自分の家の近くに閉じ込められているのかもしれない。外に出る目的も、外に出るためのお金も、持ち合わせていない。そういった束縛感を僕は抱えていたのであった。そして、それは多くの人が抱えているのではないだろうか。自由であって、自由でない。身体的自由は何でもできる自由ではない、そういった束縛感。しかし、家ずっといると、自分の存在を他の人に認知してもらえない。それゆえの孤独、不安。そういった束縛感と孤独から逃れようと、多くの人は予定をスケジュール帳に詰め込むのではないか。バイトを入れたり、クラブの予定を入れたり、塾に行ったり、旅行に行ったり。自分の家に束縛されること、自分が一人でいることで、誰にも観測されないことが、怖いのだ。それに恐怖すら感じている。「自由の刑」ともまた違う。自由であるように見えて、どこかに幽閉されていて、孤独に震えていなければならない。そういったことが、交通網が発達し、都市の周りに住宅地ができ、地域の人とのつながりが薄れ、あらゆる他人への警戒が上がり続け、自由な公共の空間が減り、経済的格差の存在する社会での問題ではないのだろうか。

 都市の在り方、経済の在り方は、人々の生活スタイルを大きく変えてしまったが、その原動力となっているのは、人々の中の不安や恐怖なのではないか。働きづめな人、いつでも誰かと一緒にいる予定を入れている人、そういった人にはわかりづらい、見落としがちなポイントだ。しかし、そういった人ほど、こういった恐怖や不安に目を向けないようにするために、日々、忙しく生きている。日本の、クラブや学校の体育会系の悪しき文化、企業のブラック文化、こういったものも、この人々の恐怖や不安とは無関係ではないだろう。むしろ、かなり、密接に働いている。人々の動きを決める側は、どうせ休みにしたって家でだらだらするくらいしかやることはないんだろうから、クラブに、学校に、会社に、来い、といった感覚を持っている。自分の経験を、他者も同じように持っているものとして、無意識のうちに人々の動きを計画する。そして、召集される側も、それにより、不安や恐怖が解消されるならありがたい、とそれに応えて出かけてゆく。しかし、人々は、本当に自分が何を恐れているのか知らない。自分が、孤独感や束縛感に怯えていることを知らない。だから、この問題は、意識的に認知されない限り、解決することはないのだろう。皆、見えない何かにとらわれたままなのである。

 さて、ここが一つの話の切れ目である。前半部分、というか、訴え一は終了、続いて訴えニに入るといったわけなのだが。書いているほうは少々疲れてきたし、読んでいるほうも結構疲れてきたほうだろう。でも、せっかく話が今の続きになっているのだから、続けて書いてしまおう。

 さて、上に述べてきたように、人々が自分の家に縛られている状態というのを述べてきたが、これは趣味を持たない人間にとってはさらに苦痛なことになる。音楽を聴いたり、アニメを見たり、本を読んだり、そういったことも趣味にカウントできるのかもしれないが、そういった趣味はここではカウントしない。それは、あくまで受動的な趣味である。ここで言及したいのは、能動的趣味だ。釣り、楽器演奏、作曲、動画制作、絵を描く、本を書く、起業する、などなど。起業を趣味というかどうかは微妙なところだが、そういった、自分たちの力で何かを作ろう、というそういった趣味のない人にとって、するべきことがない、そして、移動も制限されている、といった時間は持て余してしまうこと限りない。先にも述べた通り、僕は、自分が家の周囲に閉じ込められているという感覚を持っている。たしかに、それは辛い感覚ではあるが、僕は何か創作するという意思、それに合わせた自分の行動計画を持っている。だから、僕は乗り切れる。長期休暇はむしろ、僕にとっては絶好の創作チャンスだ。そういった時間こそ待ち望んでいたものである。しかし、そういった創作などの能動的趣味を持たない人にとって、休暇とは、ただ娯楽を享受すること以外にするべきことがない。自分から、何かを動かせないでいるのだ。そうすると、どうだろう。休暇が長くなればなるほどに、飽きてくるだろう。そんなに休みはいらないと思い始めるだろう。休暇を、娯楽の消費でしか過ごす方法をしらないと、そうなってしまう。働く人、学生、何人かに聞いても、それを思うわせるような答えをする人がいる。働くのが、学校に行くのがめんどくさくなって、休みを数週間もらっても、すぐにやることがなくなって、退屈になってくる。そして、はやく仕事に行きたい、学校に行きたいと思いだしてくるのだ、という人を多く知っている。経済的な拘束だけでなく、自分に能動的趣味がないために、ほんとうにやるべきことが見つからない。自由の苦しみ。退屈に死にそうになっている人がいる。

 そういった人というのは、スケジュールが過密になり、人間が機械の歯車のように社会に組み込まれてしまっている現在社会の構造によるところが大きいと僕は思っている。しかし、これは、人が機械の歯車のように社会に組み込まれることによって、人は、自由な時間の過ごし方が全くもってわからなくなっており、再び、自らの意思で社会の歯車に組み込まれようとする、といった状態である。歯車が歯車になりたがるなんて、なんてよくできた機械だろうと思ってしまう。

 しかし、近いうちに、人工知能とロボットが今の人間に変わる時代が来るだろう。そのときに人間はロボットに仕事を奪われて、やることがなくなるだろう。しかし、広範な職業でロボットによって仕事を奪われた結果、失業した人々はお金を失って経済格差が広がる未来が来るかというとそうではないだろう。ロボットが発達するにつれて、ベーシックインカムの制度が現実味を帯びてくるだろう。月々、すべての国民に一定のお金が支給される制度。もし、それが実現すれば、資本主義の時代は終わりを迎える。共産主義に近い時代がやってくるかもしれない。こういった未来は、技術力の上昇による生産効率の上昇により、ほぼ間違いなくやってくるだろうと僕は考えている。

 しかし、そうなった社会で、人は自由に解き放たれるのである。言い換えれば、人はすべきことがなくなるのである。そのとき、人はいったい何をするのだろう?能動的な趣味を持っている人は、そういった人たちでお互いに集まって過ごすことができるだろう。しかし、それまで、休暇といえば娯楽を消費するだけの日々を過ごしていたような人たちはどうなるのだろう。退屈さに死ぬかもしれない。自発的に自分の生きる意味を見つけられなくなって葛藤に苦しむだろう。人々は生きる意味を探して葛藤するだろう。社会の歯車として生きてきたのだ。それまで、自分の人生に対して、自分で決めてきたというわけではない人たちである。その状態から、自分たちの人生に対して目的を見つけられる人は少ないだろう。

 考えられる未来はいくつかある。一つは、新たな集団の形成である。社会的慈善活動や、思想・宗教による集まりが増えるだろう。その数も、頻度も、である。

 そして、二つ目。文化の発展が考えられるようになる。それまで技術革新ばかりが注目されていた社会から、今度は、文化に目を向けられるようになるのである。

 そして、三つめ。争い行為である。もはや、十分な時間がある。上記のようなことに興味のない人たちによって、争いが頻発することだろう。お金をめぐる争いかもしれないし、土地をめぐる争いかもしれない。人をめぐる争いかもしれない。自分に余裕が出てくれば、利己的な人間は、さらなる利益を求めて、他人から略奪をもくろむものである。ベーシックインカムが保障されているなら、罪を犯して、会社を首になっても大して痛くはないのだから。

 こうしたように、現在の社会構造により作られている人々の精神的土壌は、次なる時代に対してはあまりにも不向きなものである。自由にはなれない。自ら自由になることができないように精神的土壌が作られている。しかし、そういったことについて、気付く人はほとんどいないだろう。