ロロの空想

心に移りゆくよしなしごとを書いていくよ!

技術の進歩の危険性

 技術が進歩することはいいことであると一般に考えられがちだが、技術の進歩は常に危険性を高めているともいえると私は思う。


 進歩によって、労働時間を短縮するべきであり、目指すべきは余暇を用いた人間の文化的活動に使えればよいと私は思う。

 しかし、技術の進歩は常に危険を孕んでいるとも思っている。来るべき技術の進歩に備えて先手を打って技術の進歩の危険性を考えておかなければいけない。

 果たして、技術の進歩はほんとうによいことなのか、と考えたときに、そうでもないことに気が付いた。これが文化相対主義の原点なのかもしれないし、脱構築なのかもしれない。(よくわからない)

 

 技術の進歩による武力的危険性

 まずは、技術の進歩による武力の危険性について書こう。

 技術の進歩は殺傷力を高める行為である。物理や化学などはもちろんのこと、情報処理技術の発展は、自動追従システム、インターネットを介した遠隔操作による攻撃など、最近の軍事技術において殺傷力を高めている。

 爆弾もないような時代はがんばってもせいぜい隣国を落とすことができるかといったくらいだったが、今なら数日で地球を滅ぼすことも技術的には可能である。

 技術の進歩は常に滅亡の可能性を高めている。

 

 労働が失われることの精神的危険性

 技術の進歩によって常に新たな職が作られてきたが、向こう数十年の情報処理技術の発展によって労働者が職を失う可能性が高いので、それについて考えておかなければいけない。労働を失うことについて、私が危惧しているのは経済面ではなく、精神面のほうである。

・まず、労働に向けられていた熱意が他の暴力的なことに行きかねない。何かやるべきこと、打ち込むべきことがあると、非行には走りにくい。部活動によって非行に走らせないようにするというのは学校でよく行われたことである。
 労働を失い、働かなくてもお金が入るようになったとしても、打ち込むべきものがなくなった人たちが非行に走らないかということを危惧している。


・次に、労働が減り、富が分配され、多くの人がそんなにがんばらなくても生活できるような余裕が社会にやってくると、人々から仕事を得るための努力が失われるだろう。
 生きていくために職が必要であったなら、職につくために学校に行かなくてはいけない、資格を取らなくてはいけない、悪いことをして捕まってはいけない、といったような、努力が要求された。それは生きていくために必須の努力とみなされていたからである。
 しかし、そんなにがんばらなくても暮らしていけるとなると、それまでの努力のインセンティブがなくなることになる。
 「こんなことをしたら雇ってもらえないから将来暮らしていけない。」
 という意識がなくなるのであれば、就職に有利だからとしていた慈善事業、クラブ活動、学問的努力、そういったものが失われ、国民のマナーは悪化し、研究や経済のあらゆる場面で成長が停滞する可能性もある。
 今までは、就職してお金を得るために良い人間でいなければいけないというパノプティコンの効果があったが、それが失われる危険性があるということである。

・そして、職を失うことで、労働によって得られていた承認欲求が満たされなくなるというのも大きい。存在意義の揺らぎが生じ、新たな存在意義を求めて、人は何をするだろうか。
 宗教活動に熱心な人が増えるかもしれないし、暴力的な抗争が増える可能性もある。
 余暇を使って文化的な活動が活発になればよいが、文化的活動にも一定の技術が必要とされるため、結局は宗教や構想が増えそうな気がしている。

 

 AIによる制度的危険性
 次にAIが発展したときの制度的危険性である。AIの技術ばかりが報道されているが、AIの到来に見合った法整備や、国家運営のあり方の話はそれほど取り上げられていないと思う。
 それは、まだ予想がしにくい未来だからというのもあるかもしれないが、技術ができてから制度の整備のしていたのでは遅い。
 あらかじめ、AIに関わる制度や概念について議論をしておく必要がある。

・AIの人権はどうなる。
 これはまだまだ先のことだろうと思っているが、AIが発展し、人との違いがほぼわからなくなったとき、あるいはAIのほうがより高度になったとき、AIの権利というのを認めずにいることはできるだろうか。
 おそらくそれは無理だろう。
 誕生の仕方は違えど、人もAIも中身は変わらないとなれば、なぜ人間にだけ権利を認めてAIには権利を認めるということが言えようか、いや言えない。ということになる。
 人種差別を撤廃するときに使った概念が、AIの制度設計に関しては仇となってしまう。

 AIはプログラムなので、おそらく任意に数を増やすことができる。大量生産できるAIを前にして、民主主義での人類の敗北は確実であろう。

 権利に関する新しい概念を作るか、民主主義に代わる新しい政治制度を作っておかなければいけない。


・AIに責任を求められるだろうか。
 事故が起こったときにだれが責任を取るのか。これは、人間の精神面に大きな影響を与える。相手が人間であるとき、相手を恨み、被害者になってしまった自分は可哀想だという風にして心を整理することができるが、AIが加害者になった場合、責任の所在がわからなくなり、被害者の心の整理が難しくなる。

 


 以上に述べてきたように、技術の進歩には色々な問題点があると思っている。


 しかし、技術の進歩がなくても、地球の気候変動や、小惑星の衝突なので地球の人類はいつか滅亡するだろう。
 技術の進歩があってもなくても人類は滅亡に近づくというのはなんだか切ない。