ロロの空想

心に移りゆくよしなしごとを書いていくよ!

教育をスーパービジョンすることでの質担保

教育は至るところで、行われる。学校教育だけでなく、職業教育、サークル活動、などなど。

だからこそ、よい教育の仕方というのをちゃんとわかっている必要があると思う。

よい教育の実践ができれば、どんな場面でも人を育てられる。

教育の質の担保のために、教育の方法自体を教育することを考えた。
教育のスーパービジョンだ。

これを思った背景にもつながるけれど、最近、保育士試験の勉強をしていた。
教育原理や発達心理学には非常に参考になる。
ゲゼルのレディネスの考え、エリクソンの発達についての課題、教育思想として、これまでルソーやコンドルセが何を考えてきたか。
教育方法としてのブルームの完全学習、キルパトリックのプロジェクト・メソッド、ブルーナーの発見学習、オーズベルの有意味受容学習、などなど。
教育についてはいろいろと参考になるところがある。

とはいっても、だれかに教育する人みんなが、こういった教育思想や心理学に詳しいわけではないだろうし、それを求めることもできまい。

けれども、教育は至るところで行われると言った現実がある。

では、それぞれの教育についてよい質を担保しようとおもったら、上に述べたような教育に関する詳しい話を知っている人が、教育する人をスーパービジョンして、よりより教育に導くというシステムが望ましい。

教育自体を教育するという方法がなぜか現場の文化で育っていないのはどうしてなのか。
もっと教育自体の質の担保のために、教育自体をスーパービジョンするという構造を色んなところで取り入れることができたらと思う。

そういった構造を作るためには、さらに教育をスーパービジョンする人材の育成のスタンダード化が必要になってくると思うし、そういった人材のためのコアカリキュラムを作成する必要があるのではないかと思う。

現場の教育を良くして、パワハラと教育を履き違えている人から、人々を救うのだ。