ロロの空想

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鎧塚みぞれはリズだったのか?―『リズと青い鳥』感想


※本記事では、「リズと青い鳥」のネタバレを含みます。


 

 



はじめに


2018年4月21日公開となった、京都アニメーション制作の「リズと青い鳥」。
原作は武田綾乃、監督は山田尚子、脚本は吉田玲子です。
小説が原作で、京都アニメーションでアニメ化もされた「響け!ユーフォニアム」シリーズの一つとなります。
上映時間は、映画サイトによると90分です。
今回は、3年生になったオーボエの鎧塚みぞれと傘木希美の人間関係に焦点を当てた作品となっています。
今回の映画の題名でもある「リズと青い鳥」は、劇中でコンクール演奏曲となっています。劇中設定では、それに対応するヴェロスラフ・ヒチルという作者の童話が存在するようですが、ネットで検索したところ、実在する童話ではないようです。見た目からして、岩波文庫ですが。
 さて、本作中では、その童話である『リズと青い鳥』が映像化され、みぞれや希美の描写の合間に挟まれるという演出になっています。


本作の解決すべき課題


 本作では、私が思うに、鑑賞者が解決すべき課題が2つありました。ひとつは、「disjointがjointになったのは、どういう意味か。そしてなぜか。」であり、もうひとつは、「『リズと青い鳥』は何を象徴していたのか」です。


disjointとjoint


 disjointとjointの意味を簡単に確認すると、disjoint=ばらばら、joint=一つになった、と解釈して良いのではないのでしょうか。つまり、みぞれと希美がバラバラだったのが一つになった、と解釈することができると思います。それがなぜだったのか、は「リズ」と「青い鳥」がどういう意味だったのかを考えなくてはいけません。


「リズ」と「青い鳥」が表すものとは?


 冒頭、希美とみぞれが二人でリズと青い鳥を演奏するシーンで、
「私達みたいだね」
と希美がつぶやきました。これによって、「リズと青い鳥」がみぞれと希美を表現したものであると示されます。

では、リズと青い鳥は、希美とみぞれにとって何の象徴なのか。

みぞれは、「私がリズなら青い鳥を逃したりしない」と言います。
また、滝昇は、
オーボエはリズを、フルートは青い鳥を表しています」
と表現しています。

つまり、作品の前半では、あたかもリズはみぞれのメタファーで、青い鳥は希美のメタファーであるかのように描かれていました。

みぞれは一人でいたところを希美に声をかけてもらって一人じゃなくなり、リズは一人だったところに青い鳥がやってきたことで、一人じゃなくなりました。

しかし、「青い鳥」は、最後には羽ばたいてリズの元からいなくなってしまいます。青い鳥は空を羽ばたくことができる翼があるために。

みぞれは、なかなか「リズと青い鳥」を周りが納得のいくやり方で演奏できていませんでした。しかし、みぞれは、あるときを境に本領を発揮した演奏ができるようになります。

 みぞれがリズなのだとしたら、みぞれの変化と、『リズと青い鳥』の物語はどのように関連しているのでしょうか??


みぞれはリズなのか?


希美は、
「早くこの曲コンクールで吹きたいな」
と言い、みぞれは
「コンクールが来なければいいのに」
と言います。

みぞれは、希美といる時間をいつまでも続けたいという願いがありましたが、希美とみぞれの関係はどことなく歪んでいるようでした。
希美は、
「みぞれからはよそよそしさを感じる」
と言っています。

すごく仲が良さそうに見えて、実はよそよそしさがあるという微妙な距離感が、二人の間にあり、それがdisjointを生んでいました。
お互いに、どこかギクシャクしているのは、お互いがどこか本音をうまく伝えられていない関係であると考えられます。

一人だったみぞれのもとに、やってきた希美は、リズのところにやってきた青い鳥のようで、みぞれは希美を離そうとしない点で、自分はリズと異なると感じていました。

 そんなみぞれにひとつの変化をもたらしたのが、新山先生からの音大への進学の勧めです。みぞれは新山先生をキーパーソンとして、少しずつ変化し始めます。

「みぞれが」
「リズで、希美が」
「青い鳥だと思ってたけど」
「「でも、ほんとは―」」

というシーンがこの映画の一番のポイントだったのかもしれません。
後に、希美は
「新山先生が音大を勧めたのはみぞれだけだった」
と言っていますし、みぞれの圧倒的な演奏に涙する希美がいました。

この映画は、前半は、リズ=みぞれ、青い鳥=希美であるように描かれていましたが、後半では違うということがわかります。
本当は、リズ=希美で、青い鳥=みぞれだったのだと解釈すると理解ができるようになります。

「あなたは、その翼でどこまでも飛んでお行き」

というのがリズと青い鳥の結論になっているのですが、みぞれにとっての翼とは、高いオーボエの演奏能力で、その力で音楽の世界へ羽ばたいてゆけと希美がみぞれのことを手放し、みぞれも羽ばたくことを決意したのが、本作品の結論だと私は考えます。

 みぞれが希美のことを手放せなかったのと同様に、希美によってみぞれが羽ばたけなかったのでした。

しかし、
「一度羽ばたいてもまだ戻ってこれる」
とみぞれは信じて、勇気を持ってみぞれはオーボエを真面目に吹くようになったのだと私は思います。

 そして、お互いになんとなく伝えきれずにいた本音を打ち明けあった二人は、それぞれが自分にあった進路を選んだ上で、表面的な仲良しではなく、ちゃんと心の通った仲良しになることができ、「joint」へとなったのだと思います。


さいごに


 以上見てきたように、私は、disjointがjointになったのは、「ちゃんと本音を伝えてお互いがお互いを手放す勇気を持てたから」、であると思います。
 また、実はみぞれはリズではなく青い鳥であり、自ら希美の元を離れる決意をしたのが本作品の結論だったのだと私は感じました。

 示唆にとんだ内容ですね。

 私は、読解が苦手なので、この解釈に至るまで時間がかかりましたし、何か間違った解釈もあるかもしれません。
 

 最後に、Youtubeから、リズと青い鳥のメーキングを紹介しておきます。監督の山田尚子さんが思ってたよりも若いことや、劇伴や劇中曲がこのように作られているのだということがわかる貴重な映像だと思いますのでどうぞ。