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ロロの空想

心に移りゆくよしなしごとを書いていくよ!

男性保育士問題の下地

日記


 男性保育士の問題。

 男性保育士が、女児の着替えをさせるのを禁止するべきだとか、それはしないべきだとか。
 Twitterを2017年1月ににぎわした話題。

 もう、だいぶこの話題が下火になっているけれども、このことについて少し書いてみる。

 この問題に関しては、いろいろ論点があるだろう。男女の性差とか、統計学的なこと、権利と公共の福祉の兼ね合いの話とか、まあ、いろいろ。
 色々な話があるから、そのあたりは詳しい人が、それぞれの観点からどこかで論じてくれているんじゃないだろうか。

 ここでは、私は、男性保育士問題があれほどにTwitterでヒートアップした経緯、その下地について思うことを書きたい。
 それぞれの人がそれぞれのTLを見ているので、見ている世界は違うだろう。だから、これは私のTwitter体験の話である。私のTLから見た世界である。


 私が思うに、先の男性保育士問題というのは孤発的な出来事ではない。あれはあくまで象徴的な出来事なのだ。表面化し、世間の目に広く触れた一つの事例である。
 問題は、だから、あの男性保育士問題、それ自体が本質ではない。

 あれは、私から見ると、「女性の優遇に対する苛立ち」の積み重ねが、あの男性保育士問題で顕在化したものである。


 今、私のTLでは、「フェミ」という言葉が、「女性を男性よりも優位に立てて過剰に優遇する」というような意味合いで使われている。揶揄して、おフェミ様なんて呼ばれていたりする。

 ツイッターレディースと呼ばれる一部の人々の活動が、フェミと呼ばれているのを私のTLでは見られた。


 とはいえ、そういうフェミの活動というのは一部の話である。


 結構前には、迷子に対する掲示板のコピペがTLに流れてきた。
「迷子の子供を見つけた女子高生はその子を連れて、親を探した。親のところに子供を送り届けると、親からは大変感謝され、警察からは感謝状が贈られた。
 迷子の子供を男性が車でその子の家に送り届けた。すると、誘拐の容疑で逮捕された。

 といった内容の事例が実際にあったという趣旨の内容だったと思う。


「信号を待っていると、小学生の女の子に『ちょっと持って』と荷物を渡された。持ってみると、『変なおじさんに荷物とられた~』とその女の子は叫び出した。その声を聞いた近くにいた男数人に取り押さえられ、そのうちの一人が『お嬢ちゃん、今のうちに早く逃げな!』と女の子を逃がした。」
 といった悪ガキの話も見た。

 

「共学では、男子が女子の荷物を持つのが普通だった。女子高に行くと、自分で荷物を持つようになるので、女子高のほうがいい」
といったような内容のツイートも結構見た。

「映画ではレディースデイで女性だけ安いところが多いし、プリクラは男性だけの立ち入りを禁止にしているところがある!」とか。

「女性がおごってもらって納得するランキング」とか。


東京大学が、一人暮らしの女子大生に月額3万円を支給する制度を導入する。」
といった時も、それが本当に適切な措置なのかどうか、TLが過熱していた。

 あとは、これは結構危うい話ではあるが、
「高橋まつりさん」の話でも、
「これまで数々のおっさんが屍になっても決して、社会への訴求力はなかった。しかし、電通の社長、ついに辞任!東大卒、美人の若い女性の命が、ついに、電通のトップを刺す!」
「おっさんがどれだけ死んでもこれまで切り捨てられていたのに、若い美人の女性の命は、これほどまで世間に取り沙汰にされる。所詮、おっさんの価値は若くて美人の女性にははるかに及ばないんだ。

といったような趣旨のツイートも見た。
 このような話に巻き込まれてしまうのは、少し可哀想なのだが。高橋まつりさんのご冥福をお祈りする。


あと、これは別に女性優遇の話ではないのだが、
「女性の活躍といって、女性が労働市場に多く、参入し、供給量が決まっている労働市場から締め出される男性が増えた。しかし、男性に変わって労働市場に参入した女性は、結婚して離職する人も多い。無職の女性は、男性と結婚して養ってもらえる可能性が高い。しかし、無職の男性の婚活市場での価値は無職の女性よりもはるかに低い。こうして、仕事が得られず、無職のために結婚もできない男性が増える。」
「きもくて金のないおっさんをいかに救済するかが問題だ。」
 といった、男性と女性の労働と結婚の話も見ることがよくあった。

 

 私のTLはかなり偏ったものなのだろう。しかし、これらのツイートは、数千RTされたものであったり、フォローが数万のアカウントのツイートであったり、それなりに拡散されていた話が多い。

 そして、これらの諸々の話が、事実であるか、措置として適切かどうか、解釈として妥当なのか、そういったことは関係なく、あくまで感情として、「女性優遇ばっかり正当化しやがって」という気持ちを積み重ねたということが、注目しなければいけないことだろう。


 そして、「男性保育士問題」がTwitterに出てきた。
 男性保育士問題は、上記のような鬱憤をためていたTwitterユーザーによって多く拡散され、言及されていた。

 男性保育士問題は孤発的な出来事ではない。点ではなく、それが顕在化した線の流れというのを考えるべきではないか。


 そして、「女性の優遇?とそれに対する鬱憤」といったこの流れは、また単独の流れではないのだろう。
 「障碍者と社会の負担」に対する鬱憤が爆発した相模原事件、「透析患者と社会負担」に対する鬱憤が炸裂した「透析患者は殺せ!」発言、「イギリスはEUから離脱する!」となった国民投票、「アメリカをテロから守るため、特定の出身国からの移民の入国を制限する!」といった大統領令、こういった事例と無関係の流れではないのだろう。
 弱者救済や平等の実現と自己防衛という葛藤があちこちで生じ、自己防衛による他者の排除という流れが強くなっているのではないか。平等や弱者救済という大義の陰で我慢や抑圧されていた人が、不満を表出させ始めているのではないか。

 まあ、私はそんなことを思ったりする。

 

 

余談↓

rorokuusou.hatenablog.com