ロロの空想

心に移りゆくよしなしごとを書いていくよ!

「好き」と「セックスしたい」の同一視

 「好きっていうのは、セックスしたいとイコールじゃないの?」
 と真顔で言う人が結構な数がいる。

 私にとっては違和感のある考え方だったが、Twitterなどを見ていると、
「好き、付き合いたい=セックスしたい」
と読み替えている人がむしろマジョリティーなのではないかと最近気が付いた。
 「セックスしたいと思わない恋愛なんて存在しない」
と信じている人もそれなりにいる気がしている。


 マジョリティーがそう考えているならば、これからの言動には気を付けなければならない。解釈の違いからあらぬ誤解を生じるかもしれない。


 しかし、疑問がある。
 性を知る前の恋愛は、彼ら・彼女らにとってどう解釈されるのだろうか??

 性について知るのは、今の日本だと小学校5・6年生~中学1年生くらいだと思う。

 しかし、性について知る前から、小学生たちは恋愛をしている。幼稚園や保育園にも恋愛は存在する。

 その恋愛は性に基づいているわけではないと思う。

 しゃべるとドキドキする、なんとなく目で追ってしまう、ふとした瞬間にしゃべりたくなる、とそういった甘酸っぱい恋心が、まだ性を知らない世代にとっての恋愛である。

 そして、性について知ったからといって、それまでと恋愛の仕方が180度変わるわけではない。
 性について知ると、多少は性について意識せざるを得なくなるとしても、恋愛の主役が甘酸っぱい恋心から性へと移行するとも限らない。

 大人になっても、性に基づいた恋愛ではなく、性を知る前の恋愛を続けている人もそれなりにいるだろうと、私は思う。


 性に基づく恋愛観というのは、性について知ってから初恋を知った人の価値観なのだろうか、あるいは、性について知った後に多くの人の価値観が変化するのだろうか、私にはわからない。

 

 ただ、「好き」と「セックスしたい」を同一視する価値観というのは、必ずしも皆に当てはまるものではないだろう。