ロロの空想

心に移りゆくよしなしごとを書いていくよ!

自分と他人の感じ方は違うということ


「他人にされて嫌なことは他人にするな」
 という道徳観は、一番シンプルなものだろう。多くの人は、これにしたがって行動する。

 この価値観は、「自分と他人の感じ方・考え方は同じである」という前提に基づいている。
 そして、たいていの場合、その前提は正しい。そうでないと社会生活は成立しない。
 他人に物を投げられるとつらいし、他人に優しくされるとうれしい、というのは多くの人に共通する感じ方だと思う。

 しかし、そういった前提が必ずしも成り立つは限らない。
 それを忘れたときに、主語が大きすぎる主張、というのが出てくる。

「男はみんな女の人とサシで飲むときはワンチャンを狙ってる。」
「女はみんな男の人に奢ってもらうとときめく。」
「国民はみんな、○○を望んでいる。」

 主語を大きくしすぎてはいけない。
 大抵のことは、自分と他人で感じ方・考え方は同じだと考えてよいだろう。しかし、そうでないこともたしかに存在することを忘れてはいけないのである。

 他人は違うということを、多くの人は本質的には理解していないのである。

 今まで、自分とは考え方・感じ方が違う人は、「頭がおかしい人」として排除して、「頭がおかしくない人普通の人=自分と同じ感じ方・考え方をする」と信じている人が少なくないのではないかと思う。

「好きっていうのはセックスしたいってことでしょ?」
 と他の人も思っていると思い込んでいるのも、主語を大きくしすぎた結果だろう。

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