好きなこと、やりたいことがあるかないか。
好きなことを持ってると、人生が楽しくなる気がする。
趣味というのは大事だと思う。
でも、好きなもの、やりたいこと、というのを持っている人って結構好きなんじゃないかと感じる。
好きなものといってもいくつかある。
・マンガ、ネット、映画、アニメ、食事、舞台鑑賞
・サイクリング、ランニング、小物づくり、楽器演奏、勉強
・プログラム、小説やマンガを描く、機械を作る、研究
なんとなく3つに分けてみた。初めは、消費の趣味、二つ目は消費と生産の間の趣味、三つ目は生産の趣味、といった具合である。まあ、大体の分け方で。
基本的には娯楽というのは、消費するものが多いと思う。
たくさん、消費娯楽が世の中にはある。どれもおもしろい。
そういうのは、好きな人が多い。
でも、何かを生産するというのが好きな人は、それよりも少なくなってしまう気がする。
何かを生産しようとしなければちょっと苦労しなければいけないものが多い。
その苦労、をするのを避けてしまうのかもしれない。
では、そういった、「苦労が必要な生産的行為」が好きな人とそうでない人というのは何が違うのだろうかと私は思った。
好きなものというのは、やりたいことに裏打ちされているのではないかと私は思う。
「苦労が必要な生産的な行為」というのは特に、好きになる前に、何か「やりたいこと」があるんじゃないだろうか、と私は思う。
例えば、プログラミングが好きな人は、「こういったプログラムを作りたい!」といった動機に裏打ちされている場合が多いんじゃないだろうか。
ということは、そういった、好きなこと、特に生産的なことが好きな人とそうでない人の違いは、「やりたいこと」があるか、ないか、そして、あったとして、その情熱と苦労を天秤にかけたときに、情熱が勝つかどうか、そういった違いではないか。
と、私は思った。
「やりたいこと」というのがあり、それを実行できる環境があれば、幾分、豊かに暮らせると思う。意味のある日々を生きられる。日々の生活に意味を与えられるというのは幸せだと思う。
勉強にしたって、「やりたいこと」があって、そのために勉強するのは楽しいし、知識も身につきやすい。
逆に、やりたいことにつながらないことならば、好きにはなれなくて、やる気も出ないということも多い。
私は、勉強やら何やらは、「やりたいこと」があること、つまり勉強の動機があることが一番大事だと思う。動機があれば、好きになれる。
主体的に生きるというのは、やはり、「やりたいこと」があって、「好きなこと」があるからこそできることなのだろうと思う。
では、どうしたら。「やりたいこと」というのは見つけられるのだろうか
これまでの経験というのも大きいだろうし、自分と対話するというのも大事だと思う。
やりたいことを持っていると、色々調べたり練習するのに時間がかかるので、時間も足りなくなる。
そこで、やりたいことがある人と特にない人では生活スタイルにだいぶ差が出てくる。
やりたいこと、好きなことを持っている人が増えたらいいな、と私は思う