相手に自分を預けること
自分のなかに自分を抱え込むから余計に色々と悩んでしまうのではないかと思う。
「自分の中で全てやろうとしすぎなんじゃない?他の人に自分を預けてもいいんじゃない?」
と言われた。
相手に自分を預けることというのは非常に難しい。
かなりの恐怖を伴うものだと思う。
自分のからだに例えてみるとわかりやすい。
自分のからだを他の人に預けてうしろに倒れようとするときにはすごく怖い。
自分の心にしても同じだ。
自分を人に預けることは怖い。
自分を預けようとして受け取ってくれる人ばかりでもない。
人に自分を預けることができるには人を信頼する必要がある。
人を信頼して自分を預けられるようにならない限りは、孤独感は続くのだろう。
孤独を乗り越えるために必要なのは、他者からの承認とは限らない。
他者を信頼することが大切なのだと思う。
頭が砂糖菓子みたくなって使い物にならなくなる日
なんだか頭が働かない日がある。
それは、活動性が低下するというよりも、むしろ逆で、頭の中でポップコーンが弾けるみたいに、砂糖菓子が膨らむみたいに、パンパンになって慌ただしくて、落ち着かない。
それで全然集中できない。
やらないといけないなーとか思うこともできなくて、焦燥感に苛まれて。
でもやっぱり頭は使い物にならないという日がある。
そんな日は、自分の中にある何かゾワゾワとしたものを抑えるのに必死になる。
そんなときは漫画を読んだりしてると心が落ち着く。
でも漫画を読んでも映画を見ても、やっぱりそれから戻ってくると気分が落ち着かないのは一緒。
実際にやることはたくさんあるのから焦っているのかもしれないし、やることがたくさんたまっているから、集中の世界に没頭するのが怖いのかもしれない。
でも、どうしても現実に向きあいたくなくて、頭が砂糖菓子みたいになるときがある。
頭の中が甘ったるいすかすかのお菓子みたいになった感覚だ。
人と話したり。
やるべきことを終わらせて。
心を落ち着ける世界に沈めるようになろう。
自分にとっての大きさと相手にとっての大きさ
人間関係のつらさって自分にとっての相手の存在の大きさと、相手にとっての自分の存在の大きさのギャップによって生まれることが多いのかなと思った。
自分にとって大切な人にとって、自分は大切じゃなかったり
自分にとってそんなにな人から多く求められたり
毎日、自分にとっての相手の存在を相手にとっての自分の存在に合わせる作業をしている。
そんなに大切じゃないならそんなに優しくしないでよ
っていうのはただの嫉妬かもしれないけど、
自分にとって大切な人には大切でありたいという思いがあるのかもしれない。
でも、気を付けたいと思うのは「大切にされる」ことと「必要とされる」ことの違い。
大切にされるのはよいことだけど、必要とされることを要求するのは、相手を困らせる。
自分にとっての依存を喜びに変えるのではなくて、自分にとっての愛を喜びに変えよう。
相手を自分に依存させようとするのではなくて、相手の幸せを喜ぼう。
チャットサービス作るための双方向通信(WebsocketとCommet)とは何なのだろうか
チャットサービスを作ったことがなくて、どうしたらリアルタイムに投稿したコメントが反映されるのだろうかと不思議だった。
これまで、Ajaxとかの使い方は勉強したことがあっても、情報を更新するためには、一定期間おきにサーバーにリクエストを出さなくてはいけなかった。
投稿をリアルタイムに反映するとすれば、それこそ、1秒おきにリクエストを送信しなくてはならない。
そんな通信が果たして現実なのか…と、チャットサービスの作成については懐疑的であった。
そこで、ネットで検索すると、双方向通信のための技術として、CommetとWebsocketが有名であることがわかった。
ほかにも色々あるみたいだ。
Websocket実現のためのライブラリは、WikipediaのWebsocketを見てもらうと、Githubへのリンクがある。
WebsocketはHTTPの上にあるのか?TCPの上になるのか?
上記記事では、「HTTPによるハンドシェイクで双方向通信を確立する」とあるので、通信のはじめにHTTP通信を行うことはわかるのだが、そのあとの双方向通信自体が、HTTPの拡張形式としてのWebsocketプロトコルなのか、あるいは、もはやHTTPとは関係なく通信を行うTCP上にあるWebsocketプロトコルなのか、がよくわかっていない。
でもWebsocketはつねに通信を張りっぱなしにするため、Blocking I/Oのサーバーでは難しいと…つまり、Non-Blocking I/Oな、node.jsか、Nginxじゃないと厳しいということか。
相手のタスクにToDoを追加できるようなサービスがほしい。
・相手のToDoに項目を追加できる
よく、「これやっといて〜」と連絡が来る。「いいよ」と返事するも、移動中だったりして、やるべきことをメモするのを忘れたりする。また、単純に連絡がたくさん来たり忙しかったりすると、ToDoに自分で追加するのが面倒くさい。
「私のToDoにそれ追加しといて〜あとで承認しとくし」
みたいな感じで、自分が追加しなくても相手からToDoの注文を自分のToDoに追加できるようなシステムがあったらいいのにと思う。
それもある種のSNSになるのかもしれない。
今のSNSは、ちょっとしたメッセージのやり取りにはむくけれど、あんまりお仕事には向かない気がする。
・ToDoリストとカレンダーが一体となったものがほしい。
ToDoの管理はできるけれど、カレンダーには通知時間しか反映できないものが多い。
ToDoのリストと、カレンダーの枠(何時から何時まで)を対応できるようなカレンダーサービスはないのだろうか…。
できればGoogleカレンダーに反映させたい。
・資料管理、ToDO管理、カレンダー、が一体となったものがほしい。
何人かで何かを企画したりプロジェクトに取り組むとき、必ずPDFや議事録などの資料が出てくる。アンケートフォームとか、会計の表とか。それを見るのが、いつも面倒くさい。LINEでもSlackでも、チャットグループとクラウド資料管理が一体にはなっていない。
また、ToDo管理、カレンダーも一体にはなっていない。
こういう、プロジェクトのための統合型コミュニケーション環境(Integrated Communication Environmentとでも呼びたい)というのはないのだろうか?
守りの承認、攻めの承認
今の生きている人、特に若い人は、承認を求めて生きているといっても過言じゃないくらい承認をベースにした行動をしているような気がする。
私もその一人だろうか。
果てしない承認欲求はどのようにして生まれ、どのようにして解決されるのかわからない。
SNSは、承認欲求を満たせたとしても、より承認欲求の需要が高まって、結果、承認の供給よりも需要のほうが増えるんじゃないかとすら思う。
私たちは、承認を求めてどんな行動をしているのだろうか…。
私は、人々の承認をめぐる行動を大きく2つにカテゴライズすることができるのではないかと気づいた。
それを、「守りの承認」と「攻めの承認」と私は呼ぶことにした。
守りの承認は、自分が馴染みある人たちで自分の周りを固め、他の人を介入させない、排他的な構造によって、いつも同じ人といられるようにすることで、リーチは短くともよい承認を得られるようにする行動である。
これは、多くの人に典型的な行動で、「いつも同じ人とつるむ」行動が当てはまる。
非常に合理的でわかりやすい行動だと思う。
一方、攻めの承認は、自分が社会から承認されることを目指して、社会で縦横無尽に動くようなタイプ。
これは、いつも同じ人といるというわけではないけれども、社会へと発信することで社会から承認を得るようなタイプだと思う。
守りの承認のほうが、安定して承認が得られるし、よいところもおおい。
けれど、攻めの承認のように社会への発信力は持てない。
攻めの承認は、一件社会へのインパクトがありそうで、孤独を抱えているというか、孤独の裏返し的な要素もあるように感じる。
どちらの承認も特徴がある。
どちらもの承認タイプを満たす行動をすることはできないのか。
承認行動の違いを生むのは何なのか…
その思考過程の違いこそが、これからの人々の行動を考える上で重要なキーになるような気がしている。
自分を生かしてあげるために
社会のためとか、人類のためとか、組織のためとか。
色んな理由で、自分のやりたいこととか、自分の急用とか、そういうのを二の次にしてしまうことがある。
自分のやりたいことが、仕事であっても、自分が今打ち込んでいることであっても、自分のことをいたわってあげることを忘れてはいけないと思う。
自分のことを一番世話してあげられるのが自分なのだから、あまり自分のことを粗末に扱ってはいけない。
周りが助けてくれなくて、つらい時こそ、自分に優しくしよう。
たまには、自分を甘やかしてあげることも大切。無理はしないほうがいい。
今日やらなくてはいけないと思っていることは、本当に絶対今日やらなくてはいけないのだろうか。
自分じゃないとできないと思っている仕事は、本当に自分じゃないとできないのだろうか。
実はそんなことはないかもしれない。
あまり、自分で背負い込もうとするのをやめよう。
そんなことをわかっていても、なかなかうまく実行できないことはわかっているけれど。
それでも、意識してやっていかないと、自分をうまくケアできなくなってしまう。